<書評>『ぼくの文章読本』荒川洋治 著

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ぼくの文章読本

『ぼくの文章読本』

著者
荒川 洋治 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784309039244
発売日
2024/11/27
価格
2,475円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『ぼくの文章読本』荒川洋治 著

[レビュアー] 杉本真維子(詩人)

◆時空超える言葉の地下水脈

 以前、お年寄りに「よい思い出になりました。ありがとう」と言われて驚いたことがある。若き日の私には思い出という言葉が遠かった。それはどこか人生のおわりを意識させた。しかしあれから20年近くが経(た)った今ちょうどよく馴染(なじ)む。人生のおわりを意識させるのはそのままだが、受けとめ方が変わったのだ。

 荒川洋治『ぼくの文章読本』には思い出がつまっている。かばん、栗拾い、お尻の思い出などいろいろあり、人は思い出によって生きるのだと実感する。人生のおわりを恐れている場合ではない。確実に時間は経つ。おいる。ならば、受けいれてたっぷりと思い出を吸いこんで、たっぷりとした心で生きていく。それしかないのだと思った。

 そのために本がある。これは大変さいわいなことだと荒川洋治の文章はいっている。本書のなかには、ないに越したことはない、というような日々の躓(つまず)きも書かれているが、あったらあったで、困らないものだ、という気持ちになる。思い出になってからが勝負だ、とも思える。

 ある本のなかに、誤解をしてしまう「私」が出てくる。荒川はそんな「私」を「理を通す道という道が尽きはてている」と捉え、「私」という一個人とそれが抱えているものを守る。たとえ誤りであっても、そのなかには取り戻すことのできないその人の時間がある。「踏みつけ」になどできるはずがないことを改めて確認する。

 そのようにして、心のなかの素直なひかりのようなものを伝いながら、暗い洞窟のなかを言葉で歩いていくと、思いもかけないものを発見する。それは発見者自身を超え、時空を超え、すべての人間に通ずるもの。地下水脈のようなもの。それが詩だ、と本書はいっているのだと思う。

 ところで、荒川洋治の文章は要約できない。言葉が詩のように等しいおもさで書かれているからだ。詩と文章は決して同じものではないが、遠いものでもない。そのことを荒川は荒川自身の文章で示していると言える。

(河出書房新社・2475円)

1949年生まれ。現代詩作家。詩集に『水駅』『渡世』『真珠』など。

◆もう1冊

『文学の空気のあるところ』荒川洋治著(中公文庫)

中日新聞 東京新聞
2025年1月19日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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