<書評>『暴動の時代に生きて 山谷 ’68-’86』中山幸雄(ゆきお) 著 上山純二・原口剛(たけし) 編
[レビュアー] 米田綱路(ジャーナリスト)
◆分断支配に抗する連帯感
黙って野垂れ死ぬな――。
年末、越冬炊き出しの横断幕にこの言葉を見た。東京の山谷(さんや)、大阪の釜ケ崎と並ぶ日雇い労働者の集住地域、かつて寄せ場と呼ばれた横浜の寿町でのこと。高度経済成長と消費社会の只中(ただなか)で起きた暴動の時代のスローガンである。
寄せ場の暴動は賃金搾取や労災もみ消し、使い捨ての非人間的な不正に対する日雇い労働者の怒りの発露だった。本書は1968~86年を軸に、山谷で労働運動に取り組んだ中山幸雄が、暴動の時代を語った稀有(けう)な回想録だ。
寄せ場の労働形態は派遣などの名称に変わり、あまねく社会化して久しい。非正規が労働人口の約4割を占める今日、その形態の元が寄せ場にあることは忘れられがちである。そして忘却の最たるものが暴動の意味であることを、本書は物語って余りある。
広島大学の学生だった中山は、68年に山谷に入った。そこで行き倒れる労働者の多さと、人間の精神が荒廃する現実に直面して「怖かった」と述懐する。韓国の民主化運動で獄中に囚(とら)われた同世代の詩人で、彼が好んで引く金南柱(キムナムジュ)の詩「率直に言ってわたしは」に通じる感性のこうした連帯感が、本書の魅力だ。
当時の新左翼にあった、寄せ場の革命運動への利用主義を、中山は自らの反省としても捉え返す。暴動は労働者の自己解放だと考えるに至る過程は、大学以来の同志だった船本洲治の生と死に並行して語られる。船本は75年、潜伏先の沖縄の嘉手納基地ゲート前で焼身自殺を遂げた。
山谷は世界を内包し、時代を反映する。ここから世界を見る視座を獲得していく。船本の遺稿集『黙って野たれ死ぬな』に寄せた、中山の「刊行の辞」の言葉だ。個別性の中にこそ世界の本質があり、友人が各々(おのおの)の場で個別に生きながら、分断支配に対しては共にあるのだと彼は考えた。
山岡強一や東アジア反日武装戦線の黒川芳正ら多様な友人が登場して「時空を超えた劇的な想像力」を刺激する。冒頭の横断幕に続く以下の文が、時代を今につなぐ鍵だ。
生きて奴(やつ)らにやり返せ!
(月曜社・3520円)
1945年生まれ。2000年「カフェ・テアトロ アビエルト」を開設。
◆もう1冊
『ことにおいて後悔せず 戦後史としての自伝』菅孝行著(航思社)