『命はフカにくれてやる 田畑あきら子のしろい絵』
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夭折した画家の淡い光跡。丹念な取材で追う著者の温かい眼差し
[レビュアー] 稲泉連(ノンフィクションライター)
本書の主人公である田畑あきら子は、1969年に28歳で夭折した知る人ぞ知る画家である。「画家」と言っても、生前の彼女は武蔵野美術大学に勤務する図書館司書であり、美術界において評価されたことはなかった。一度だけ銀座の画廊で個展を開いたものの、〈画業をたどるなら、もうそれ以上記すことはなかった〉という。
では、彼女はどのような絵を遺し、なぜ、後に「画家」として再評価を受けることになったのだろうか。
〈霞がかったようなその絵には、物語の影がなかった。無辺の海原に、ひとを乗せるための船は浮かんでいない〉
本書をそのように書き出す著者は、彼女の不思議な画風の作品を〈しろい絵〉と呼ぶ。そのとき、そのときの感情が記されたような線―画面の前面にホワイトがかけられた数枚の油彩画。まるで〈完成するはずのないもの〉を描いているかのような作品に魅入られた著者は、〈命は フカに くれてやる〉と詩に書いた田畑の淡い光跡のような生涯を、地に足を着けた取材によって追っていく。
田畑は1940年、信濃川の流れにほど近い新潟県の巻町(現・新潟市西蒲区)に生まれた。上京後は詩人の吉増剛造などと交流を持ち、短い青春時代を駆け抜けるように生きた。著者は遺稿集や手紙、彼女を知る人の話から、田畑の人生に光を当てる。そこには恋に破れた一人の若者の姿があり、「しろい絵」の制作に向かう表現者としての営みがあった。人生の残り僅かな日々、病室で詩作を続けた彼女の心情を、絵とその表現に向き合いながら見つめる著者の眼差しはどこまでも温かい。
田畑の作品は死後、美術エッセイ「気まぐれ美術館」の洲之内徹などに見出されてゆく。一人の図書館司書が表現に込めたものをじっくりと考察し、自らもその絵の「伝え手」の一人となった著者の静かな筆致が、何とも言えず心にしみる一冊だった。