『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく』
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『ヘタレ人類学者、沙漠をゆく 僕はゆらいで、少しだけ自由になった。』小西公大著
[レビュアー] 奥野克巳(人類学者・立教大教授)
自分を壊し「ともに」探る
フィールドワークは、データを得るためだけに行うものではない。人類学者は、現地の人々「とともに」人間の生き方を探る。そう唱えたのは、英国の人類学者インゴルドだ。他者を理解しようとするからこそ、人類学者はゆらぐ。
自己を確立するのではなく、まずは自分を壊せ! 大学の恩師の言葉をきっかけに著者はインドへ旅立つ。バラモン僧に騙(だま)されそうになり、日本人旅行者とつるんだ後、タール砂漠に足を踏み入れ、その後三十年近く通い続けている。
著者は「ヘタレ人類学者」と名乗る。現地では、自らの価値観では対応できない「異質さ」を求めて悪戦苦闘するため、人類学者は実は誰もがヘタレなのだ。
女神を降臨させ、サソリに刺された青年をザラメ砂糖と砂を用いて治癒させた呪医に驚(きょう)愕(がく)する。呪医が「愚かさを捨て去れ」と言ったことで、深遠な宗教思想に惹(ひ)かれていく。
感謝のない社会に居心地の悪さを感じつつ、返礼を言葉にすることがその行為を台無しにすることに気づいて、ゆらぐ。自身のゆらぎだけでなく、現地に与える影響にも著者は敏感だ。人類学者はかつてのように、透明で客観的な観察者を目指さない。強調されるのは、「僕もゆらぎ、彼らもゆらぐ。ゆらぎながら、ともに世界を創っていく」というテーゼである。
個人を全ての出発点に位置づける社会に閉(へい)塞(そく)感を抱いていたから日本を脱出したことにも著者は気づく。調査地で「こぼれ落ちる自分とゆらぐ自分を許容する感覚の大切さを学ぶ」ことで「少しだけ、自分が好きになった」という。
「生身の人間として現地の世界とぶつかり合う以上のことはしていない」。しかし、それで良いのだ。人類学者にとって、自らが傷つき他者を傷つける危うさを承知の上でゆらぎの世界に入り、生の生成する場に参与することが重要なのだから。本書は、ヘタレだからこそ、他者と邂(かい)逅(こう)できることを教えてくれる。(大和書房、2200円)