『鉄路の行間 文学の中の鉄道』土屋武之著

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鉄路の行間

『鉄路の行間』

著者
土屋武之 [著]
出版社
幻戯書房
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784864883092
発売日
2024/11/07
価格
2,750円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『鉄路の行間 文学の中の鉄道』土屋武之著

[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)

文士たち「苦行」の列車旅

 上野駅の北側で、両大師橋という橋が線路を跨(また)いでいる。下町生まれで鉄道好きの私は、子供の頃、よくこの橋から上野駅に発着する列車を眺めた。新しく架け替えられたぴかぴかの橋。その途中に自転車を止めると、そこは私が独占する最高の展望台だった。とりわけ冬に大量の雪を抱えて到着する列車を見るとき、子供心に旅愁の芽生えを受け止めたと記憶する。

 どうやら似たことを、金沢を郷里にもつ室生犀星が、私より六十年ほど前に体験していたらしい。現在両大師橋のある辺りから雪まみれの列車を見て、故郷を想(おも)って詠んだ詩が、彼の『上野ステエシヨン』だそうだ。多くの作家の人生を追い、描かれた列車や駅に、この本は迫る。作品に登場する光景を実際に見に行き、小説家、詩人、歌人たちの胸の裡(うち)に思いを馳(は)せる。

 峠越えの馬車鉄道の乗り心地に辟(へき)易(えき)する森鴎外。小さくて頼りない汽車を狸(たぬき)が化けたようだと揶(や)揄(ゆ)する尾崎紅葉。不思議な形の電車が、停電で目的地になかなか着かなかったと嘆く若山牧水。彼らの鉄道紀行は、旅自体が苦行で、ときに命懸けにすら見え、それを紛らわす滑稽さもまた備えている。明治以来の文士たちは、列車や駅に別離や悲哀を重ね合わせたとともに、レールと列車が自分を異界に連れ去るのではないかという、一種の恐怖を噛(か)みしめていたようにも感じられる。

 鉄道はいまや便利で快適だ。だが、文学の対象たり得る深みを失ったことを、本書から実感することができる。確かに、技術文明を象徴するかのような速さがすべての新幹線が主役では、旅情はもちろん、作品の底流につねに粘りつくはずの暗闇や悲嘆に、居場所は少ない。

 たかがレールと文字の間柄だが、そこに現代の合理性が立ちはだかってしまっている。「ふるさとの訛(なまり)なつかし停車場の…」と詠む情趣を、これからの鉄道と文学の関係が新たに創り出すことを祈ろうか。(幻戯書房、2750円)

読売新聞
2025年1月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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