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日常からとつぜん異世界へとさ迷う奇妙な感覚……ドッペルゲンガー名作3作
[レビュアー] 若林踏(書評家)
ある日、自分とそっくりな人間が目の前に現れて、人生が入れ替わったら。『スケープゴート』(務台夏子訳)は『レベッカ』などで知られるダフネ・デュ・モーリアによる、瓜二つの人物になりすます男の運命を描く小説だ。一九五七年の刊行以来、七〇年近い月日を経て新訳のうえ文庫化された。
鬱屈を抱えるイギリス人の歴史学者ジョンは、休暇旅行でフランスへと赴く。旅先でも気が晴れないままのジョンだったが、自分自身としか思えないくらいによく似た風貌のジャン・ドゥ・ギというフランス人と出会ったことで事態は一変する。ジャンと酒を酌み交わして泥酔したジョンは気が付くとジャンと入れ替わっており、城で暮らす彼の家族たちに本人と間違われたまま生活を送る羽目になってしまったのだ。
日常からとつぜん異世界へとさ迷うかの如き奇妙な感覚は他のデュ・モーリア作品にも通ずる。ジャンの家族関係はこじれており、おまけに経営するガラス工場は倒産寸前だった。壊れつつある他者の人生を生きざるを得なくなった男の心に芽生え始める複雑な感情に読者は惹かれ、その顛末を静かな緊張感とともに見届けるだろう。
エドガー・アラン・ポーの「ウィリアム・ウィルソン」など、ミステリや怪奇小説では所謂“ドッペルゲンガーもの”と呼ばれる作品が数多く書かれ、人間の内奥にある不安を様々な形で炙り出している。東野圭吾の『分身』(集英社文庫)は題名の通り、双子のようにそっくりな他人の存在を知った女性がその謎を解き明かそうとする小説で、刊行当時の一九九三年からすると時代を先取りしたような内容になっている事に驚く。
“ドッペルゲンガー譚”の尖った発展形というべきなのは法条遥『バイロケーション』(角川ホラー文庫)だろう。自分と同じ容姿で同じ行動を取る「バイロケーション」と呼ばれる奇怪な存在を巡るホラーであり、驚くべき企みに満ちたミステリとしても読める作品。作りこまれた奇想を巧みに操り、サプライズを演出する手腕が見事。