『磯崎新論』
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『磯崎新論(シン・イソザキろん)』田中純著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
「造物主」追求した生涯
昨年、学会のため茨城県つくば市を訪れたさいに泊まったホテルが、磯崎新(あらた)の代表作、つくばセンタービル(一九八三年竣(しゅん)工(こう))の一棟だった。大急ぎで予約したので、現地に着いてから気づいたのである。だがすでに本書のもとになった雑誌連載を読んでいたから、書中に散見される言葉を借りれば、意識下の「身体感覚」がどこかで働いて、ホテルを選ばせたのかもしれないと思う。
この建築複合体について田中純は、本書の第十四章で詳しく論じている。そこで強調するのは、建設の当時に指摘されていたのとは異なって、「ポスト・モダニズム批判」の趣向である。建築史上のさまざまな様式の引用に意味があるのではなく、断片の集積を超える「原イメージ」を浮かびあがらせること。それは、中央にしつらえられた「沈んだ広場」が指し示す、「闇」の領域への下降の運動にほかならない。
少年時代に空襲と焼け跡での生活を経験し、みずからが「『死(デス)』の世代」に属すると語った建築家である。モダニズム建築が漂わせる楽観性や人間中心主義を、最初から信じていない。「破壊」や「廃(はい)墟(きょ)」や「亀裂」を強調する、「反建築」の建築家という両義性のうちに生き続け、厖(ぼう)大(だい)な建築物と著作を残した。
しかし、ニヒリスティックな冷たさは、そこにはなかった。磯崎による東京都庁舎の計画に、光と闇が混在する「来(らい)迎(ごう)」の空間を田中は見ている。それは、第二十章で紹介される静岡県舞台芸術センターの「楕(だ)円(えん)堂」の印象とも重なる。観客はそこで、上方の玄関から地下へ降りて観劇するのだが、途中は足元も見えないような暗闇でありながら、そこに漂う空気はとても濃密で、生気がほのかにみなぎる。亀裂や破壊も、同時に成長と変化を意味する。当人が自称したように、人々の「身体感覚」を刷新し再生させる「デミウルゴス」(造物主)を追求した、建築家の生涯だったのである。(講談社、5225円)