『アーベド・サラーマの人生のある一日』
- 著者
- ネイサン・スロール [著]/宇丹 貴代実 [著]
- 出版社
- 筑摩書房
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784480837295
- 発売日
- 2025/01/10
- 価格
- 2,640円(税込)
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<書評>『アーベド・サラーマの人生のある一日 パレスチナの物語』ネイサン・スロール 著
[レビュアー] いとうせいこう
◆占領下の日常で起きた悲劇
パレスチナ人へのイスラエルによる虐殺行為は許すべからざる大問題だが、私たちがテレビやネットで見る火の海は決して2023年10月のハマスによる攻撃から始まったのではない。
もともとのパレスチナの領土が度重なる戦闘によって奪われていく過程で、どのような執拗(しつよう)な差別と隔離が行われてきたかを、本作は徹底的な取材と叙述で語っていく。といって第2次大戦後から順序よく書かれた歴史書ではない。多くの登場人物の、特にパレスチナ人の各部族に属した者の生活(例えば日々の移動が多くの検問所で阻害されていることなど)を綿密に描き、それでも彼らが捨て去らない誇り高い風習と頑固さを内面にまで入り込んで書き尽くしつつ、様々(さまざま)な時代の人の営みを読ませてしまうのだ。
したがって最初、私はこれを厚みのある小説として受け取っていた。しかしタイトルにもなっている「ある一日」に、各人物の立場と心情を激しく揺るがせる何かが実際に起きたのだとわかった時、言いようもなく戦慄(せんりつ)した。
その何かは出来れば読者によって知っていただきたいのだが、この本をなるべく多くの人へと届けたい私は最小限の説明を避けられない。12年、ヨルダン川西岸地区でスクールバスがトレーラーに衝突され炎上する。本当の話だ。さてしかし、検問は救出に向かうパレスチナ側を通すのか。あるいはイスラエル側の救急態勢はどう動くのか。それだけをとっても、この一つの事実は歴史そのものを表す。
しかも著者は事故を巡って、様々な関係者(子供の親、運転手、両国の軍人や役人、目の前の惨事から子供を救おうとする人々)の時々刻々を見事な構成で描く。それは必ず我々の胸を揺さぶってやまないだろう。
さらに、昨年のピューリッツァー賞を受賞した本作が、“イスラエルを批判するユダヤ人”である著者によって書かれているという複雑さも、ここだけの話として小声で付け加えておきたい。
残酷な世界を一刻も早く消滅させるべく本書を薦める。
(宇丹貴代実(うたんきよみ)訳、筑摩書房・2640円)
米国出身、エルサレム在住のジャーナリスト。
◆もう1冊
『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』岡真理著(大和書房)