『能十番』
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現代人に“能そのもの”を直接つなげる〈透明な翻訳〉
[レビュアー] 木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎主宰)
代表的な謡曲(能の台本)十番をいとうせいこう氏の現代語訳、ジェイ・ルービン氏の英訳で楽しむ本書は、開いたが最後、頁をめくる手が止まらなくなる。
特に現代語訳が素晴らしい。ためしに『海人』の地謡の一節を引いてみよう。原文は「夜こそ契れ夢人の、開けて悔しき浦島が、親子の契り朝潮の、波の底に沈みけり」である。息子との邂逅を果たした母の霊が、文を手渡し消え去るくだりだが、いとう訳ではこうなる。
「夜にだけ夢にあらわれるわたくしは、夜が明けるのが悔しい。と海人は玉手箱を開けて老いる浦島が悔やむように、朝潮の頃に親子の縁の浅さを恨みながら、波の底へと沈んでいくのであった。」
読み比べてみると、原文の情報をほとんど逃さず訳していることがわかる。謡曲は掛詞や縁語を駆使した多重的な言葉の世界だ。原文の「開けて」には、夜が“明けて”と玉手箱を“開けて”の二つの意味がかかり、海の情景を表す「朝潮」には、「(縁が)浅い」の韻が隠されている。原文中に圧縮された膨大な情報を、いとう訳は語順を巧みに入れ替えながら、丹念に解凍、かつ意味としてもすっきりと通る訳文に仕立てている。そればかりか「夢人」など本来なら注釈で処理されがちな用語の解説もさりげなく入れ込む。「恨みながら」に相当する語は原文にはない。しかしあえて加える。「浦島」の一語に“うらみ”に通じる音が隠されているという、訳者独自の発見だろう。
原文と訳文が上下二段になった親切なレイアウトは、編集者をキャリアの出発点としたその人らしいし、リズム感のある文体はラッパーなどプレイヤーとしての勘のなせる業。ビギナーにもわかるように補う言葉はサブカルや古典芸能の案内人としての技術、ぐいぐい引き込まれる情景描写は小説家の筆力。多面的な顔と技能を持つ、いとう氏にしかなし得なかった唯一無二の翻訳だ。
けれども不思議なことに、夢中で読んでいる時、翻訳者の姿や声を意識することはほとんどない。ただ“能そのもの”と直接つながっている感覚だけがある。現代人と能とを豊かに仲介することに徹した、透明な翻訳。能が発する声を一つも聞き漏らさないという究極のリスペクトの姿勢がそれを可能にしている。
「光悦謡本」を意識した豪華な造本だが、江戸時代においては特権階級のものであったそれとは違って、本書は多くの人の能への扉を開いていくだろう。