産業革命が生んだ労働中心の「休息」観。「自分が何者かを悟る時間」を取り戻せ
[レビュアー] 田中秀臣(経済学者)
働くことは生活の糧を得る手段であり、それ以外の時間は疲れをいやすための休息である。これは現代の休息に対する基本的な考え方だ。休息の中には、レジャーを楽しむことも含まれる。もちろん睡眠時間も重要だ。十分に働くためには、規律正しい時間管理が求められている。
この労働中心の「休息」観は、子どもの頃から学校でも徹底的に教え込まれる。だが、コルバンによれば、このような労働と休息の組み合わせが成立したのは、19世紀後半に産業革命が本格化してからだという。それまでは農作業をみればわかるが、労働と休息は渾然一体だった。つまり規律などおかまいなしに、自らの判断だけで適度に働き、また休んだ。働くことと休むことが同等だったのだ。また休息の意味は、そもそもキリスト教の神への祈りの時間として始まった。
コルバンはさまざまな文学作品を引用しつつ、古代からだいたい20世紀初めに至る欧州の雄大な休息の歴史を描いていく。
特に面白いのは、自室に監禁されたグザヴィエ・ド・メーストルの『部屋をめぐる旅』(1794年刊)にまつわるエピソードだ。彼は狭い自室を世界そのものに見立てて42日間の旅行を楽しむ。幽閉という逆境としての「休息」が、新しい世界の発見に結びつくのだ。ちょうど18世紀に欧州でリラックスできる寝椅子が開発されたことも後押しした。
またジャン=ジャック・ルソーは、スイスの湖水地方のような風光明媚なところで、さまざまな夢想をしながら休息することが、自分が何者であるかを悟る時間だと、メーストルの休息をさらに発展させた。
ルソーの休息は、オーバーツーリズムに悩む観光地での休息とはかなり異なる。いまやレジャー自体が労働化してしまったのだろう。メーストルやルソーのような働くことを意識しない、自らの内面を豊かにする休息こそが今日必要だろう。