『わたしの神聖なる女友だち』
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異性との「恋じゃない部分」
[レビュアー] 渡邊十絲子(詩人)
人生の折々に出会った異性について、こんなふうに「思い出語り」をしてくれてよかった。四方田犬彦『わたしの神聖なる女友だち』のことだ。
人が人と出会い、なにごとかを共有し、楽しくなったり気まずくなったりするという普遍的な話が読みたい。しかし異性との思い出は恋愛というフィルターをかけて語られがちだ。恋愛は一種の異常事態である。それなのに、異性とのつきあいを「ここに登場するのはみんなオレに気があった女」「この男たち全員、アタシに翻弄されたのよ」みたいに描かれることには食傷ぎみなのだ。恋じゃない部分を聞かせてよ。
そういう意味でこの本には救われた。女の人の家に泊まったり、女の人が自宅にふらっと来て著者の母親と仲よく話し込んだりしても、それがちゃんと「人と人とのつきあい」として像をむすんでいる。そしてそれが、透明な、アクのない文章で書かれている。読み心地がさらさらときれいでうれしい。
カズコ・ホーキ(ロンドンでとんがった音楽を作っている、もとは田園調布のお嬢さん)。岡崎京子(時代のはるか先を行く漫画家だったが突然の交通事故により描けなくなった)。山口淑子(言わずと知れた、かの李香蘭)。如月小春も、重信房子も、鷺沢萠もいる。彼女たちの言葉や行動は「あの時代」をまっすぐに映し出していて、めまいがするような気持ちになったりもした。読後はただ、「時は飛ぶように過ぎる」ことを思っている。