『海の沈黙・星への歩み』
- 著者
- ヴェルコール [著]/河野 與一 [訳]/加藤 周一 [訳]
- 出版社
- 岩波書店
- ジャンル
- 文学/外国文学小説
- ISBN
- 9784003256510
- 発売日
- 1973/02/16
- 価格
- 550円(税込)
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フランスをたたき潰す機会を掴んだのだ。たたき潰してやる
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「占領」です。
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一九四〇年六月、ナチスドイツはパリに侵攻し、フランスを占領下に置いた。ヴェルコールは「海の沈黙」(河野與一訳)をパリ陥落直後から書き始めた。ヴェルコールとは画家ジャン・ブリュレルの筆名。掲載予定だった雑誌がゲシュタポに差し押さえられたため地下出版した。これを一読したロンドン亡命政府のド・ゴールが感激して再版させ、レジスタンス精神の象徴とみなされる作品となった。
執筆当時は占領初期ゆえ、激しい抵抗運動のドラマはまだ生じていない。すべては題名通り、深い沈黙に包まれている。地方の町、老人とその姪が住む家の二階にドイツ人将校が暮らし始める。老人と姪は決して彼と会話をしようとしない。コミュニケーションの拒否が精一杯の抵抗なのだ。
切ないのは、若い将校がフランス文学を愛しフランス文化に憧れる好青年であることだ。独仏融和を心から願っている。ところがパリに出かけた彼は、同胞たちの交わすこんな言葉に唖然となる。
「われわれは(…)フランスをたたき潰す機会を掴んだのだ。たたき潰してやる」
自分もまた残忍な勝利者たちの一員でしかないと悟ったとき、将校はどんな選択をするのか。
物語から浮かび上がるのは戦争の不条理をぐっと耐え忍ぶ精神の矜持だ。それが人々を支えるよすがとなる。同年に出たカミュの『異邦人』にも通じる、引き締まった文章に胸を打たれる。寡黙な、透徹した名文である。