『最近』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
蝶は清浄も不浄も超えて
[レビュアー] 金子薫(作家)
芥川賞作家・小山田浩子による最新作『最近』が刊行。
本作の魅力を作家の金子薫さんが語る。
***
連作短編集『最近』の終わりを飾る「えらびて」において、語り手の三家本は、家の近くでアオスジアゲハを見つけたと娘から報告されて、蝶は意外と汚いという逸話を思い出す。
幼少期、彼女の祖母は語っていた。ご先祖が乗ってくる乗り物だから粗末にしちゃいけないけれど、蝶は、花の蜜だけではなく、動物の糞やおしっこにも寄ってくる、と。
これは実際にそうなのだ。蝶は花の蜜ばかり吸っている訳ではない。塩分とミネラルを補給して繁殖成功率を高めるべく、獣の糞尿にも血液にも群がって吸汁行動をする。
私はこの回想を読んだ瞬間、ここで語られる蝶の生態は、小山田浩子『最近』における、言葉や物語の運動にも重ねられるのではないかと考えた。
小山田の言葉たちは、ささやかな日常を自由自在に飛び廻り、清浄とされるものにも、不浄とされるものにも、分け隔てなくひらりひらりと舞い降りる。
大衆居酒屋でも町中華でも、カレーを拵える自宅でも、美味しそうに料理や調理工程を描きながら、それと同時に、小山田は、食べる行為の生々しさにもクローズアップする。
人体は代謝のプロセスを有する。生きるためには栄養をエネルギーに変えて老廃物を排泄し続けなければ。食事という営みを観察し、言葉を丹念に連ねていくなら、他者の身体は、リアリティを伴った異物として立ち現れる。
そして、これこそが本作の魅力なのだが、異物としての側面が充分に強調されるからこそ、他者の身体に触れて、境界を乗り越えようとする光景が眩しく輝く。
「カレーの日」での牧野の回想、妻との結婚を直感したエピソードは強烈である。休日に牧野が昼寝をしていた際、当時まだ交際相手だった妻は、勝手に、彼が嫌がっても我を通して、牧野の脇の下の腫れ物を捻り潰してしまう。自分の肉体から迸り出た膿汁を見て、牧野は結婚を予感する。
彼は「彼女があんな無茶をする相手は、それも目を輝かせて行う相手は世界に今後僕一人でいいのだと思った」と振り返るのだが、この回想シーンは、吹き出物とは言え身体の一部を潰され、汚物も悪臭も細かく描かれるにも拘わらず、なぜか清冽な印象に満ちている。
「おおばあちゃん」において、死が間近になった寝たきりの大伯母を見て、語り手(牧野の妻)が、過去の記憶を、危篤の祖母にしてあげた耳掃除の記憶を思い出す場面も同様だ。
耳垢と膿汁。人が人である限りは分泌されるもの、身体が身体として活動する限りは排泄され続けるもの、そのような老廃物を媒介にして、小山田浩子は、個体と個体が、束の間、巡り会えたり溶け合えたりするシーンを自然に描く。
生きとし生けるものは新陳代謝を繰り返し、刻一刻、死へと近づいている。そういう自明な事実すらも忘れてしまうほど、緩やかに速やかに流れていく日常を、本作の言葉は遍く照らしてくれる。
花の蜜にも、糞にも血にも、言葉の蝶が舞い降りる。