『セルフィの死』
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<書評>『セルフィの死』本谷有希子 著
[レビュアー] 長島有里枝(写真家)
◆自他へ向かう容赦なき辛辣さ
ミクルはSNSで知り合ったソラと双子コーデで映えスイーツ店を巡り、「セルフィ」(自撮り)を撮影してSNSのフォロワー獲得を狙う女子。コワ可愛いカバー装画を纏(まと)った本書は、わかりやすく数値化された自分の価値への渇望と、わかりやすさが支配する世界への拒否反応とのあいだでなんとか生きのびようとする彼女の物語だ。
最初の小編は(4930)というタイトルで、2編目から4桁の数が少しずつ増える。最後、一足跳びで6桁になってようやく、数字がミクルのフォロワー数だと気づく。ソラと都内各所でセルフィを撮るエピソードに、オーガニックを信奉するインフルエンサーのマッスーさん、レインボーわたあめの行列に並ぶ青い髪の原宿系男子、外資のコーヒーチェーン店で働くウォンくんなど、街で出会った人との話が並置される。
今の東京と彼らの人となりが、いわゆる「ポリコレ」を無視したミクルの本音をもって的確かつ仔細(しさい)に描かれる。その描写力は圧巻で、自分もそこに居合わせたかのような錯覚に陥る。どこでも偽名を使い、マウントを取るか取られるかで人間関係を測る彼女への共感は避けがたいのに、それが読み手自身の危ない先入観を容赦なく暴くから厄介だ。他者に向けるのと同じ強度の辛辣(しんらつ)さを自分自身にも向け続けるという点でミクルは純粋だ。対峙(たいじ)した相手との比較によって延々と自己を定義する彼女は、自らを自意識と承認欲求の子供と呼んで憚(はばか)らない。彼女の見る世界はほとんどSF的なのに、わたしに見えている世界と遠くない。自己を他者と同じ厳しさで眺めることこそ「セルフィ」的、なのかもしれない。
終盤でミクルはある境地に辿(たど)り着く。そのとき語られる世界観が心に響く。都市が煽(あお)る欲望や不安が、人をある行為に駆り立てる。セルフィが自意識と承認欲求を象徴するとしても、セルフィを撮る人だけがそれらをより強く持つわけではない。ミクルという名も偽名であることは、彼女がそうと明かさない限り、知りようがない。
(新潮社・1870円)
1979年生まれ。『異類婚姻譚』で芥川賞。「劇団、本谷有希子」主宰。
◆もう1冊
『生きてるだけで、愛。』本谷有希子著(新潮文庫)