『青池保子 騒がしき男たちとマンガの冒険』
- 著者
- 青池 保子 [著]/芸術新潮編集部 [編集]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 芸術・生活/コミックス・劇画
- ISBN
- 9784106023071
- 発売日
- 2025/01/29
- 価格
- 2,200円(税込)
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語られざる作家を語る
[レビュアー] 入江敦彦(エッセイスト)
青池保子「エロイカより愛をこめて」より、6 世紀のモザイク画から想を得た扉絵原画。(C)Yasuko Aoike(Akitashoten)
少女マンガに新たな地平を切り拓いた現役レジェンド作家・青池保子さんを取り上げた一冊『青池保子 騒がしき男たちとマンガの冒険』(新潮社)が刊行された。
美麗な作画と精緻なプロット、個性あふれるキャラクターで描き出す「エロイカより愛をこめて」「アルカサル―王城―」「ケルン市警オド」などの傑作群に、アートと歴史、創作の方面から迫った本書の魅力とは?
エッセイスト・入江敦彦さんの書評を紹介する。
入江敦彦・評「語られざる作家を語る」
仕事場での青池保子。撮影=広瀬達郎(新潮社)
青池保子は少女漫画家の枠を超えて漫画史に残る作家である。しかし、その業績や人気、実力のわりに語られることの少ない人でもあった。作家として不遇だったわけではない。が、萩尾望都や大島弓子など、いわゆる24年組のなかでも批評家の筆にあがる機会は少なかった。漫画評論に革命をもたらした橋本治でさえ青池について触れていた記憶はない。1980年に出版された漫画評論誌「ぱふ」での特集も、この雑誌にしては内容が浅かった。
なぜだろう。まずは彼女が徹底したエンターテイメント作家であったことがあげられよう。ギャグにせよシリアスにせよ、青池保子は読者を楽しませることにしか興味がない。“語られる作家”の条件である独特な表現、アカデミズムを刺激する哲学的嗜好や心理学的な考察。それらは娯楽には無用の夾雑物とばかりに切り捨てられる。早い話が「読めばわかる」から語る必要がなかったのだ。
そんな意味で評論家泣かせだった青池保子を新たに切り取った本が一冊にまとまった。もちろんふんだんなカラー原画をふくむ贅沢なヴィジュアル本の造りだ。が、それがただのイラスト集に終わらず、そこに込められた「意味」が解読できるようになっているのだ。知的エンタメ本としても読めるのが彼女のファンとしては嬉しい。
元になっているのは「芸術新潮」の特集で、これが予想を超えるヒットとなったため単行本化されたという経緯は興味深い。日本におけるアート誌の牙城が青池保子を取り上げたのは、もちろん画力の高さもあったろうが、彼女がしばしば作品内に芸術作品を登場させてきたからだろう。
思えば10代のころからいろんなことを青池漫画から教わった。わたしが最初に目から鱗を落としたのはシスティナ礼拝堂のフレスコ画にまつわるエピソード。ミケランジェロが完璧なるものとして出現させたキリストの姿を「全裸ゆえに破廉恥である」として後に坊さんが陰部を隠す腰布を描き足させたという逸話だ。青池の代表作『エロイカより愛をこめて』の主人公、天才的美術品泥棒のエロイカはその愚行を指して「気の毒に彼(引用者注:注文を受けた画工)は後世『ふんどし画家』とよばれたそうだが……」と憂う。
これはキリストのフレスコ画を勝手に修復してしまった近年の事件を思い出させる。もしわたしが『エロイカ…』を読んでいなければ、きっと老婆の蒙昧による笑えない笑い話として終わっていただろう。だが青池ファンならば神の名の下に件の坊さんがしでかした蒙昧に比べたら老婆の行為がいかに尊い信仰への愛情表現であるかに気づくことができる。
ことごとくエロイカに反目するNATO将校“鉄のクラウス”ことエーベルバッハ少佐や小銭にしか興味がないエロイカの部下ジェイムズ君、イギリス情報部おちゃらけエージェントのロレンス少尉などもいちいち己の価値観から好き放題に芸術を語るからたまらない。
そのたびに笑わされ、驚かされ、頷かされ、感心させられ、動揺させられ、まさに「騒がしき男たち」なのだ。青池保子は“語られる作家”でないかわりに“語る作家”なのかもしれないと、わたしはこの本のページを捲りながら考えた。幾人もの画工を雇い分業で大量生産したルーベンスの「価値」の在処を鮮やかに示し、ヴィーナスとキューピッドが接吻するブロンズィーノの名画「愛の寓意」を「まるで春画のようだ」と評するエロイカは、まさに彼女の視点で絵画を語っているといえよう。
それにしてもこうして改めて青池の芸術語りだけがピックアップされると、騒がしき男たちの台詞を通して彼女がいかに多彩で柔軟な視座を有しているかがわかる。ファンにとっては青池をより身近に感じるためのテクストだが、同時にまだこの作家の作品に馴染みのない人たちにとっては恰好の副読本であり美術鑑賞の目新しい手引きでもある。
価値観の変動もまた“語られる作家”の特徴だが、それには「芸術新潮」という語り部を待たねばならなかったということか。
本書ではまた伊藤亜紀による「青池作品にみる中世モード事情」がかなり最高だった。緻密な時代考証はときに画面を華やかにするためのポエティックジャスティスを織り込みながらも青池漫画を成り立たせる屋台骨となっているが、そのリアリティが読者を追体験に誘うという論評。僧衣の「色彩論争」の顛末などなかなかエキサイティング。
美術、衣服、装飾、建築、宗教、史実、恋愛観にいたるまで青池保子は読者を虜にするトラップを作品に張り巡らせている。願わくはこの本を通してより多くの人々が罠に引っかかってがんじがらめにならんことを。