【インタビュー】かたき討ちとしての活動でした――。地下鉄サリン事件から30年 オウム真理教と対峙し続けた弁護士が語る「あの日」

インタビュー

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サリン それぞれの証

『サリン それぞれの証』

著者
木村 晋介 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041156544
発売日
2025/02/25
価格
968円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【インタビュー】かたき討ちとしての活動でした――。地下鉄サリン事件から30年 オウム真理教と対峙し続けた弁護士が語る「あの日」

[文] カドブン

1995年3月20日午前8時ごろ、営団地下鉄(現東京メトロ)の複数の車両で、同時多発的に有毒ガスが発生、乗員乗客多数が卒倒するなどの被害が生じました。本件は宗教団体・オウム真理教が有毒ガス「サリン」を散布して引き起こした、前代未聞のテロ事件であったことが発覚。事件による死者は最終的に14人、重軽傷者は6500人近くにのぼりました――。

2025年、地下鉄サリン事件から30年の年を迎えました。

実行犯の家族、被害者、現場に駆け付けた警察官・消防官・自衛官、オウム真理教幹部刺殺犯など、膨大で 緊迫感のある証言を集めたノンフィクション作『サリン それぞれの証』の文庫版刊行に際し、長年にわたってオウム真理教と対峙し、被害者の支援活動を続けてきた著者の木村晋介弁護士に、改めて事件の重大さを語ってもらいました。

 ***

坂本弁護士一家を救えなかったという後悔

――どんな思いから、同書を刊行したのでしょうか。

私は弁護士ですので、普段はこういうルポを書きません。ですが、オウム真理教と対峙した経験や、地下鉄サリン事件の被害者を支援する活動を長年続けてきた経験があります。独自の視点で一連の事件を描けるのではないかと思い、事件から20年を迎えたタイミングで単行本の刊行にいたりました。そして、事件から30年を迎え、新たな原稿を書き下ろして文庫化の運びとなりました。

――被害者だけでなく加害者家族も含む証言は32にのぼりますが、それらを集める際にはどんな苦労がありましたか。

教団との対決や、被害者支援の活動を通して、人と人がつながっていき、やがて死刑囚のお母さまからも証言を集めることができました。彼女たちのことは、やはり、強く印象に残っています。中川智正のお母さんは、出家を見送る時の食事で美味しそうにステーキを頬張る息子を見て、「これならきっと帰ってきてくれる」と思ったと言います。オウムでは肉食が禁じられていたからです。ですが、残念なことに、これが親子最後の食事となりました。母親たちが、どんなに強く「戻ってきてほしい」と願っていたかを考えると、胸が詰まります。

――木村さん が、オウム真理教にかかわるようになったきっかけを教えてください。

1989年、私はラジオのニュース番組にコメンテイターとして出演していました。『サンデー毎日』が「オウム真理教の狂気」という記事を書いたことを受け、番組内でオウム真理教の問題を取り上げたのです。松本サリン事件など、一連の凶悪事件が起きる前のことでしたので、かなり早い段階で批判的に教団を取り上げたメディアのひとつだったと思います。おかげで、ラジオ局の前には教団が連日抗議にやってきました。

こうした活動のなかで、坂本堤(さかもとつつみ) 弁護士と面識を得て、ラジオ番組にも電話出演をしてもらいました。しかしながら、坂本弁護士一家は突如として姿を消してしまいます。私はすぐさま、一家救出活動に加わりました。情報収集のため、生存につながる情報には最大3000万円の懸賞金をかけました。おかげで「この超能力者に聞けば良い」というような怪しいネタがいっぱい届きました。それでも、有意義な情報が隠れているかもしれない。そういう思いで、漏らさずに聞き取りを行いました。

無念なことですが、のちに坂本弁護士一家は信者たちによって殺害されていたことが発覚します。一歳だった龍彦ちゃんまで殺害するという残忍な犯行です。私は坂本弁護士の事件に関して、「番組への出演が事件のきっかけになったのではないか」と、大きな責任を感じていました。一家を救うことができなかったという後悔があったのです。


著者近影

取材・文 角川文庫編集部

KADOKAWA カドブン
2025年2月26日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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