『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』
- 著者
- エリース・ヒュー [著]/金井 真弓 [訳]/桑畑 優香 [監修]
- 出版社
- 新潮社
- ジャンル
- 文学/外国文学、その他
- ISBN
- 9784105074418
- 発売日
- 2025/02/17
- 価格
- 2,420円(税込)
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韓国を美容大国にした思想とは? 容姿はアジア人、頭脳はアメリカ人の女性記者が「模範的顧客」になってわかった原動力
[レビュアー] 稲川右樹(帝塚山学院大学准教授、専門は韓国語教育)
食べもの、着るもの、観るもの、聴くもの、そして自分を“整える”ためのあれこれ。ふと気づけば、わたしたちの日常には韓国由来の製品やサービスが溢れている。
いまや女性だけのものではなくなりつつある美容の世界もそう。ソウルに赴任して「毛穴が存在しない未来」がここにあると衝撃を受け、美容沼にはまった女性が絶妙な距離感で「美容大国」の秘密を紹介するのが『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』。
体験と考察が融合したユニークな滞在レポートを、帝塚山学院大学准教授の稲川右樹さんが読み解いてくれた。
「韓国で大人気!」が売れる
韓国が「美容大国」であるということは、もはや日本では常識となって久しい。そしてその認識は、近年は様々な魅力的なKコンテンツの広がりと共に世界中に浸透しつつある。ソウル市内のドラッグストア「オリーブヤング」は、韓国コスメを求めて世界中からやってきた観光客で昼夜を問わず賑わっているし、日本の化粧品やシャンプーにも「韓国で大人気!」といったキャッチコピーがブランド価値を高める謳い文句として付くようになった。韓国をここまでの「美容大国」に押し上げた原動力はどこから来たのだろう。
本書『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』は、NPR(米国公共ラジオ放送)の韓国・日本担当局長としてソウルに赴任したエリース・ヒューが、長年にわたる記者経験と豊富な国際的視野を活かし、丁寧な取材と自身の体験を通じて「美容大国」韓国の実情をひも解いた一冊である。
物事の本質を捉えるために、最も大事なのは距離感とバランス感覚だ。遠すぎれば他人事になるし、逆に近すぎても冷静に見ることができなくなってしまう。そういう意味では、「アジア系アメリカ人女性」という著者のバックグラウンドは、「美容大国」韓国について語る上で、過去の類似の書物と一線を画す説得力を持っていると言える。
著者がアジア系であり女性であるということは、この本の主人公である多くの韓国人女性と外見上の同質性があることを意味する。つまり、本の中に登場する数々の化粧品や施術が想定する模範的顧客であるということだ。そして、著者がアメリカで生まれ育ったことは、内面において、韓国人の美への執念とも言える情熱に対する異質性を意味する。
本書における著者と韓国の関係は、当事者性とアウトサイダー性の絶妙なバランスの上に成り立っている。実際に彼女は自ら顧客としてさまざまな化粧品や施術を試して、その効果やそれが自分の心理に与える様々な影響について率直に記し、同時にその背景にある韓国社会が抱える問題点についてアウトサイダーならではの冷静な分析を行う。
社会的な成功と結びつく「美」
そうして見えてくるのは、韓国において「美」は、単なる自己満足のためのものではなく、社会的な成功と密接に結びついてきたという事実だ。かつての家父長的社会においては、美しくあることが「良き結婚」を引き寄せ、豊かな人生を保証した。そして、この価値観は(徐々に薄まっているとはいえ)21世紀の今も根強く残っている。むしろ、スマホ一台で世界とつながれる時代になったことで、かえって「美」をめぐる競争は激化しているとも言える。
本書では、韓国の女性たちがこの圧力にどのように向き合っているのかを、多様な視点から描き出している。美容施術を通じて自信を得る者もいれば、「脱コルセット運動」のように、美の基準そのものに異議を唱える者もいる。この運動は、化粧をやめたり、長い髪を切ったりすることで、社会的な「美の枠組み」から解放されようとする試みである。著者は、このような動きを単なる反発ではなく、社会の変化を促す一つの兆候として捉えている。
さらに著者は、韓国の美容文化が性別を超えた普遍的な価値として広がりつつある点にも触れている。たとえば、韓国の男性用化粧品市場は、アジア圏では最も成長が著しい分野の一つとなっている。
スキンケアやメイクを取り入れる男性が増え、「美」はもはや女性だけのものではなくなりつつある。この現象は、従来のジェンダーロールの変化とも関連しており、美容が単なる見た目の問題ではなく、自己表現やアイデンティティの一部となっていることを示している。
「物事の究極の理想形」
韓国語の重要なキーワードの一つに「チャル(잘)」という言葉がある。日本語で「よく、上手く」などと訳されることの多い副詞だが、この言葉の意味を深掘りしていくと「物事の究極の理想形」の存在を信じる思想に辿り着く。およそこの世に存在する物事には「こうあるべき」という絶対的な基準があり、「チャル」はそれに近いという意味である。
そして、理想から遠いものは「モッ(못)」である。この「チャル」と「モッ」に「出来上がる」という意味の「センギョッタ(생겼다)」を付けた言葉が、「チャル・センギョッタ(잘생겼다)」と「モッ・センギョッタ(못생겼다)」であり、それぞれ和訳すると「ハンサムだ、カッコいい」「不細工だ、ブスだ」となる。
つまり、その人の容姿が「世の中の絶対的な美の基準」にいかに近いか否かということが、その人の容姿を判断する指標となるわけだ。
さらに、「チャル・センギョッタ」は「チャル・サンダ(잘산다)=よく生きる」つまり「理想的で豊かな暮らし」というモデルに直結する。長い歴史の中で、韓国社会の隅々に浸透していたこれらの考えは、韓国を「美容大国」へと成長させる強力な原動力となったが、同時に韓国女性の自由な生き方を縛り付ける要因ともなってきた。
今、その流れが徐々にではあるが、変わろうとしている兆しを著者は希望を持って見つめている。他人のための美ではなく、自分のための美に。一つの理想的な形を追い求める表層的な美ではなく、様々なあり方としての内面の美に。
この本は現代の韓国に対する鋭い視点をもって貫かれているが、読者が著者エリース・ヒューの鑑識眼のすごさを実感するのは、10年後、20年後に読み返したときなのかもしれない。