『氾濫の家』
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隣家で殺人。巻き込まれ型スリラーと思いきや、意外な展開のカタルシスが
[レビュアー] 若林踏(書評家)
家族が抱える歪みはどこから生まれるものなのか。佐野広実『氾濫の家』はある事件をきっかけに綻びをみせはじめる家庭の姿を描いたスリラーである。
厚木市の郊外住宅地で、正木芳光という大学教授が死体となって自宅内で発見される。正木はテレビなどで経済問題について語るコメンテーターとして知られていた人物だった。正木家の隣に住む新井家の主婦、妙子は聞き込みの為に訪れた刑事に事件当日、何か不審な点は無かったか尋ねられる。妙子は何も知らないと答えるものの、実は事件の直前に不審な男が正木家の前にいたのを目撃していた。そのことを刑事に言えずじまいの妙子は、次第に不安に駆られていく。
出だしは巻き込まれ型スリラーの定型を感じさせるものだが、読み進めるにつれ事件の謎だけではなく、新井家そのものが抱える暗い問題が浮き上がってくることにも気付くだろう。妙子の夫、篤史は典型的なモラルハラスメントで家族を苦しめており、あらゆる差別を振りかざして他者を見下す人物だ。その篤史に「できそこない」の烙印を押された息子の将一と妙子の関係も気まずいものになっている。こうした家族内部の闇が正木家の事件とどう絡んでいくのか、という興味が頁を捲らせるのだ。
家族という閉ざされた共同体の暗部を描く一方で、物語はそれだけに留まらず意外な方向へと突き進み読者を驚かせる。家族の外側に存在する邪悪なものも描き出そうとする視野の広さが、従来の家族を題材としたスリラーとはひと味違う点だろう。謎解きの面でも工夫があり、正木家の事件を担当する刑事の行動が描かれるパートでは序盤に不可解な謎が提示されて読者の心を惹きつけるのだ。スリラーとしての巧みな構成と意外性のある謎解きが交わり行き着く果てには、予想も付かないカタルシスが待ち受けている。