『庭の話』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『庭の話』宇野常寛著
[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)
息苦しい社会からの解放
シンプルできれいな装丁に、『庭の話』というタイトル。さぞや美しく静謐(せいひつ)な話が展開されると思ったら、それは違った。哲学者ハンナ・アーレント、國分功一郎の議論や庭師、団体の実践例から個人的な体験までを自在奔放に引用、検討しながら、より自由で楽しく暮らす方法を掘り起こす、喧騒(けんそう)かまびすしい本なのだ。
この語り口こそ、「庭」と呼ばれる新たな公共空間モデルを構想する本書にふさわしかった。著者が求めるのは、人工的で静寂の支配する庭ではない。手入れをせず、自然の勢いにまかせる庭でもない。奥深い森林では、大きな樹木によって他の植物が圧倒され、やはり静けさが支配し、多様性に乏しいからだ。
宇野常寛が理想とする庭は、人が手を入れることで多彩な植物が育ち、鳥の囀(さえず)りや虫の音が飛び交う、生命のぬくもりがある庭である。だが、現実は違う。都市は人工物で埋め尽くされ、多様性は減るばかり。情報社会が進歩すれば、さまざまな議論が広がるという期待も幻想に終わり、正義の名の下に他の誰かに石を投げる行為や「いいね」の承認欲求ばかりが渦巻く、〈暗く、貧しい森〉になっているという。どうしたら、理想の庭のような空間をつくれるのか。
こうした場合、共感力を求める議論もあるが、著者は否定する。共感はえてして共感しないものを敵と排除し、〈人間を愚かにする〉と考えるからだ。そこで導入されるのが、承認や評価を他者にはゆだねない「弱い自立」、「ひとりあそびのすすめ」であり、一人でいる豊かさの発見である。その中身は、本書を読み、考えてほしいが、引用された銭湯三代目経営者のことばがとてもよかった。
〈銭湯に来ると、いろんな世代の、いろんな体型を持つ「ありのままの身近な他者」がそこにいるわけです。だからこそ、「自分もこのままでいいのかも」と感じられ、ホッとできるのではないかと思っています〉
本書には、他人の評価ばかりが気になる社会の息苦しさから自由になるヒントが湯のように溢(あふ)れている。(講談社、3080円)