『遠くまで歩く』
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『遠くまで歩く』柴崎友香著
[レビュアー] 奥野克巳(人類学者・立教大教授)
記憶掘り起こす大切さ
コロナウイルスの影響で「三密」を避け、テレワークに取り組んでいたのは、今からつい数年前のことである。その時期の記憶は徐々に薄れてきている。記憶とは常に不確かなものであるが、その不確かさがもたらす想起の力は計り知れない。柴崎友香は、記憶にまつわる人間の営みをしなやかに描き出している。
人々の集まりが制限されていた時期、作家は二年ぶりに編集者と対面することになった。十六年前に執筆した「五分だけの散歩」という原稿を探すよう依頼されていたが、見つけることができなかったと伝える。担当者の名前すら思い出せず、内容も記憶に残っていない。
翌月、作家は思い出の場所をテーマにした写真や映像作品に文章を添えて語り合うオンライン講座の講師を依頼される。特徴のない場所の写真に言葉を加えることで、思い出や記憶が鮮明に浮かび上がる。受講生の亡くなった大叔父に関する写真や物を見ながら、画面上で「時間」についての意見を交わす。八十歳の店主の話を聞いておけばよかったと語る受講生は、思い出すことの難しさに気づく。読者はまるで講座に参加しているかのような感覚を抱くであろう。
年明けに講座が終了し、コロナが収束した後、作家は元受講生たちと遠出をする。画面越しには話せなかったが、講座中に失業の危機にあったことを告げる人がいた。「五分だけの散歩」を部分的に覚えている人々も存在した。書いた本人が忘れていた原稿に作家はついに再会する。
埋もれた記録や記憶は、まるで農民が鋤(すき)を使って土を耕し、土中の栄養を表土に引き出すように、再活用することにこそ本当の価値があるのではないか。記録を引っ張り出し、記憶を掘り起こし、気づきを共有することで、出来事や思考に新たな深みが加わる。画面越しの交流と対面の交流には違いがあるが、忘却の淵(ふち)にある過去を語り合うことは、人間が生を歩んでいくための大切な知恵なのではないだろうか。(中央公論新社、2090円)