『近代日本思想史大概』
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『近代日本思想史大概』飯田泰三著
[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)
思想とその人 多面的に
愚者は自分の経験に学び 賢者は他人の経験に学ぶ
ドイツの鉄血宰相ビスマルクの金言である。他人の経験に学ぶとは歴史に学ぶことであり、先人の苦闘に学ぶためには心しなければならないことがある。今の価値基準で裁断しないことであり、その思想の多面的な姿を浮かび上がらせることであり、思想の持つさまざまな可能性をふくよかに見ることである。
「近代日本思想史」を一人で描き切ることに挑戦した本書は、私の希望を十分に叶(かな)えてくれるものだった。革命の類型を示し、明治維新を「下から」、「内から」の革命と規定した竹越三叉。日本が近代国家となるための法的整備の原案のほとんどを作った井上毅は「天皇大権」の国家体制にしなければならないと思う一方で、立憲主義の原則を崩すまいという巨大な矛盾を抱えて悩んだ。
その人の思想を決して一面的にとらえないという著者の姿勢は、吉野作造のデモクラシー論にも、「利己主義」と「利他主義」の関係に苦悩したマルクス経済学者河上肇論にも一貫している。中でも福澤諭吉が唱えた「一身独立して一国独立す」は、今に生きる私たちこそが肝に銘じなければならないことのように思われる。
福澤はわが国を守るためには自由独立の気風を全国に充満せしめ、国中の人々が貴(き)賤(せん)上下の別なく、この国を自分の身に引き受けなければならないと説いた。一人一人が自由独立の精神を持ち、国の運命は自分たちの運命だと思い定めなければ一国の独立は保てないというのだ。福澤の時代から私たちは進歩したのだろうかと思ってしまうのである。
読んでいて思わず得たり、とばかり噴き出したところがあった。社会主義者片山潜はインテリ型の幸徳秋水らと違ってまず行動があり、その後に思想が付いていくという実践型だった。しかし、社会主義運動のリーダーにはなれなかった。秋水はどんなにお金がなくても若い連中におごってやったが、片山は誰とどこでどんなものを喰(く)っても「割勘」だった。それが原因だったのではないか――。(法政大学出版局、4400円)