『トイレと鉄道』
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『トイレと鉄道』鼠入昌史著
[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)
列車トイレ 進化の150年
よいか悪いかは別として、日本の公衆トイレへの執着心は世界一だと思う。本来は用が足せればそれでよい場所なのだろうが、我が国のトイレはボタンだらけだ。音符のを押すと音が出る。山の谷間のようなのは、おしりに突然お湯をかけてくる。女性と思(おぼ)しき人影が噴水に胴上げされているボタンに至っては、押すと何が起こるのか、私には恐怖以外の何物でもない。
その公衆トイレを鉄道車両に日本で初めて搭載してから、今日まで百五十年。悲喜こもごもの列車トイレの進化がテーマだ。
本書は語る。水を車両のどこにどれだけ積むか。タンクの水をどうやって節約するか。閉鎖空間の清潔をどのように保つか。後の汚物をどういう手法で処理するか。その的確な実現のために、現実の車両のトイレをどうデザインしてきたか。そして、列車のトイレを日々運用するスタッフの仕事振りは如何(いか)なるものか。
トイレは当たり前の設備ではあるが、ひとたび車両に載せるとなると、設計とノウハウの苦心は涙なしでは語れない。それは、鉄道が歩んだ時代の社会や暮らしを映す鏡ですらある。
他方で列車は走る密室である。トラブルで閉じ込められれば、乗客誰もがトイレを必要とするに至る。いわば人間の原始的生理に対応する最低限のインフラだと見なして、本書は始まる。そしてもうひとつ。列車のトイレは究極の平等で私的な空間なのだ。老若男女分け隔てなく、ビジネスマンも学校の先生も観光客も社長も詩人も大臣も、自分だけのその部屋で、溜(た)め息のひとつくらいはついたことがあるはずだ。「極めて公共性が高いのに、同時に極めて個人的でもある」場だと、その実相に筆は迫る。
著者はいう、「トイレは最も人間の本質が現れる場所なのではないか」と。その通りだ。機能をギリギリのサイズに縮小して詰め込んだ「最後の」自由な公共空間、列車トイレ。それは、確かに一書を成すべき侮れない相手だ。(交通新聞社新書、1100円)