『陸軍作戦部長 田中新一 なぜ参謀は対米開戦を叫んだのか?』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
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『続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実』
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『陸軍作戦部長 田中新一 なぜ参謀は対米開戦を叫んだのか?』川田稔著/『続・日本軍兵士 帝国陸海軍の現実』吉田裕著
[レビュアー] 福間良明(歴史社会学者・立命館大教授)
「戦後80年」前史 複眼視点
関東軍作戦参謀として満州事変を主導した石原莞(かん)爾(じ)や盧溝橋事件で戦線拡大を強硬に主張した作戦課長・武藤章は、よく知られている。だが、対米英戦開戦時の参謀本部作戦部長だった田中新一が論じられることは、意外に少ない。田中は、日中全面戦争への拡大を阻もうとした石原莞爾を武藤とともに排斥しただけではなく、対米戦には慎重だった武藤を糾弾するなど、陸軍中枢で最も強硬な対米対ソ開戦論者だった。
日本陸軍は、中国戦線と太平洋戦線という広大な二正面作戦を、いかにして選び取るに至ったのか。ドイツの英本土上陸作戦の頓挫や独ソ戦の勃発といった欧州情勢が、どう関わったのか。『陸軍作戦部長 田中新一』はこれらの問いに向き合いながら、田中の思想と行動を内在的に読み解き、「総力戦の時代に日本が生き残る道」を帝国陸軍がどう模索したのかを検証している。
もっとも、こうした作戦指導の犠牲に晒(さら)されたのは、末端の兵士たちだった。陸海軍は、1920年代以降、医療や衛生、給養などの面で、近代化や改革に積極的に取り組み、成果を上げつつあった。それを破綻に導いたのは、日中戦争だった。広大な中国大陸に兵力を展開しなければならなかったことが、「正面装備」のみを優先し、兵站(へいたん)・医療の問題の先送りにつながった。
それはすなわち、「死中に活を求め」て戦線を拡大させた軍指導層の決断が、「奥行きのない軍隊」を生んだことを示している。『続・日本軍兵士』は、多くの読者を獲得した前著を発展させつつ、アジア・太平洋戦争における大量死の背景を、明治時代にまで遡って解き明かしている。
それにしても、時を同じくしてこの二著が刊行されたことは意義深い。『陸軍作戦部長 田中新一』が軍指導層の新たな政治史を切り拓(ひら)いたとすれば、『続・日本軍兵士』は兵士たちの民衆史・社会史と言えよう。両書を通して、「戦後80年」の前史を複眼的に捉え返したい。(文春新書、1210円/中公新書、990円)