多忙な夫への嫌味に後悔…アメリカ在住の大橋未歩を救った「駐在妻」たちの物語

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結論それなの、愛

『結論それなの、愛』

著者
一木 けい [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103514435
発売日
2025/02/19
価格
1,925円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

寂しい、顔が見たいと伝えたかっただけなのに

[レビュアー] 大橋未歩(フリーアナウンサー)


フリーアナウンサーの大橋未歩さん

 二度目の結婚後、夫とともに渡米したフリーアナウンサーの大橋未歩さん。

 昨年の大晦日、夫との些細な不和から気持ちが沈んでしまった大橋さんを救った一冊がある。

 作家・一木けいさんが、タイに駐在していた9年間で見聞きし、経験したことを元に紡いだ恋愛小説『結論それなの、愛』(新潮社)だ。

 不倫の恋、人身売買、恋人の自死――。一見豊かに見えても、閉塞感が充満した駐在員コミュニティで孤独を抱えて生きる女性三人を主人公に描いた本作は、通じ合うとは何か考えながら、バンコクと東京で書いた小説だという。

 なぜ大橋さんは救われたのか? 本作の刊行に寄せた書評を紹介する。

大橋未歩・評「寂しい、顔が見たいと伝えたかっただけなのに」

 駐在員である夫の都合で海外に住む妻が、スーパーマーケットで働く若い男に呼び止められる。マダム……

 冒頭からこの湿度に私は色めき立つ。舞台はタイ・バンコク。南国特有の極彩色の花びらやスコールは、いっときの過ちに目をつぶってくれそうな気配がある。駐妻ならば、いつかは日本に帰国することが織り込み済み。有限の関係性を免罪符に、燃え上がるであろう二人を想像して、生唾を飲んだ。

 しかし、読み進めていくうちに、そんな俗にまみれた自分を大いに反省し、身につまされることになる。

 作中に登場する三人の妻の結婚生活は三者三様だが、夫ともはや話が通じないことは共通していて、夫婦関係は乾いている。愛し合って一緒になったはずの二人の変貌は、二度結婚している私にとっても他人事ではない。

 文体から匂い立つ熟れたバナナの香りや、路地を走る原付バイクの音に誘われて、気づくと私もバンコクの喧騒に立っていた。日常から遠く逃避した今なら、目を逸らしてきた夫婦の乾きの正体にも対峙できそうな気がする。

 私はあの日の夫との会話を思い出していた。

 私たちは普段アメリカで暮らしているが、昨年末は二人とも日本で仕事があり、それぞれの実家に滞在していた。夫は多忙で一ヶ月も会っていない。さらに彼は元日から仕事で電波の届かない場所に発つので、私は大晦日にテレビ電話をしようと提案した。夫の顔を見ながら「明けましておめでとう」と「いってらっしゃい」と声をかけて送り出したかったのだ。夜十一時半頃から私たちは話し始めた。

「今年もお世話になりました」

 私は画面越しに彼に手を振り、彼も微笑み返す。とその瞬間、画面から彼が消えた。顔と入れ代わるようにして聞こえてきたバイブの通知音。続いてタンタンタンという、指で画面をタップする音。どうやら彼はLINEをしながらテレビ電話をしているようだ。明日から出張、当然準備で忙しいに違いない。でも大晦日の三十分なら許されると思って私は話し続ける。

「もうすぐ2025年だよ、ついに結婚十年目突入だね」

「んー、だね」

 ブルブルブル……。LINEがひっきりなしに届いている。比例して薄くなる彼のリアクション。

 私はつい言ってしまった。

「相手が友達だったら、そんな片手間で電話しないでしょ?」

 すると彼は言った。

「相手が友達だったら、そもそもこんな忙しいタイミングで電話してこないよ」

 そっか、などと呟いて、お互いに縫い針でチクリと刺したような軽い痛みをやり過ごす。結局スマホ越しに一緒に年を越して電話を切った。でもその後しばらく、自分の口をついて出た「片手間」という言葉に含んだ嫌味が、苦い後味として体にまとわりついていた。言うんじゃなかった。本当はただ、寂しい、顔が見たいと伝えたかっただけなのに。

 この苦い後味を思い出したのは、著者が「伝える」と「伝わる」の間にある隔たりを、容赦なく炙り出しているからだ。三人の妻たちは、夫と通わなくなった心の隙間を、タイに住む男たちで満たそうとする。異国の地で交わされるコミュニケーションは、私たちが無意識に拠り所にしている共通項の脆さを浮き彫りにする。「言語」や「文化」や「一緒にいた年月」のような土台が通用しない中で残されたのは、むき出しの気持ちだけ。それを足がかりに、尽くせる限りの手段を使って伝え続け、分かり合おうと努力する彼らのひたむきな姿は、かつては鮮度に溢れていた二人の写し鏡だ。鏡に投影された自分に問う。私は夫との意思疎通の上にあぐらをかいていないだろうか。母国語を過信し、育った文化が同じことに安心し、そして、夫婦という関係と年月に裏打ちされた磐石さに安住して、伝える努力を怠っていないだろうか。新年早々、猛省することになってしまった。

 その甲斐あってか、実は本作を拝読して以降、夫婦関係に変化を感じている。あわや中だるみという結婚十年目の滑り出しが、非常にいい具合なのだ。夫婦史上最も平穏な毎日を送っている。一木さんのおかげだ。この場を借りて一木さんに御礼申し上げたい。長い旅路だけれど、このまま努力を続けられたらいいなと思う。

 最後に。著者は、一見円滑な意思疎通の裏側に、なされた努力の不均衡があることも冷徹に見つめる。例えば駐妻のように、稼ぐ夫とその夫に同行して異国に来た妻。バンコクのはずれで春を買う者と売る者。生殺与奪を片方が握った時、川下に置かれた者にとっての意思疎通は、生命維持装置に等しく、生存の対価として強いられた努力を一心不乱に差し出す。その理不尽を直視しつつもなお、人と分かり合うことを諦めない熱が本作には満ちていた。

 その温度は、本を閉じた後もまだ、私の手のひらに残っている。

新潮社 波
2025年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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