『春立つ風』
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あさのあつこ 弥勒シリーズ最新刊『春立つ風』刊行記念インタビュー
[文] 光文社
「男たちの行く末を見つめたい」
切れ者で凄腕の定町廻り同心・木暮信次郎と、元暗殺者の過去を背負う遠野屋清之介。二人の男が運命的に出会い、闇の中で対峙する。あさのあつこ初の時代小説『弥勒の月』に魅了されてから、すでに20年。シリーズは累計120万部を超え、待望のシリーズ13弾『春立つ風』が刊行される。信次郎は何を企み何を狙っているのか、清之介は商人の道を全うできるのか、遠野屋の人々の今後はどうなるのか――。気になるシリーズの行方や最新作に込めた思いを、あさのさんに伺った。
聞き手/青木逸美 撮影/公文一成
「男たちの行く末を見つめたい」
――『弥勒(みろく)の月』を書き始めた頃、世に出す日が来るとは思っていなかったそうですが、ついに13作目が刊行されます。シリーズが長く続いた要因は何だと思いますか。
あさの いまだに、「何でだろう」と不思議です。ここまで巻を重ねるとは思っていませんでした。ただ、得体の知れない人たちに出逢ってしまった、出逢ってしまったからには書かずにいられない――という思いがありました。4作目(『東雲(しののめ)の途(みち)』)くらいからでしょうか、見えたかと思ったら、見えなくなる。書いても書いてもわからない、掴(つか)みきれない。これは、長い付き合いになりそうだと腹を括(くく)りました。
――以前、「清之介(せいのすけ)をもっと書きたい、再生させたい」と話していました。清之介は女房おりんの死を乗り越え、遠野屋(とおのや)の商売を広げ、商人として成長してきました。ここまで、清之介の再生は思い通りに書けたのでしょうか。
あさの もし、何割くらい書けたのかと問われたら、「一割なのか二割なのか、まったくわかりません」と答えます。清之介が今後どう変わるのか、果たして商人の途(みち)を貫き通せるのか、もしかしたら反転してしまうのか、まだ全然わかっていません。いまだに書きながら、自分でも「ええ、そうなるの?」と驚いています。信次郎(しんじろう)と清之介について行くのが精いっぱいなんです。
――いまも構成を立てずに執筆しているのでしょうか。
あさの 構成を練ってから書くということはないです。少し先がぼんやり見えている状態で書き進めています。
――清之介が商売のアイデアを思いつくたびに、あさのさんは右往左往してしまうのでは?
あさの そうなんです。紅花(べにばな)のときは山形まで花摘みに行きました。本当にトゲが刺さって痛かったです。花を口に含んだり、紅花の口紅をつけてみたり。今回は江戸時代に作ることができるオーガニックな白粉(おしろい)でしょう。「そんなん知らんがな」と思いましたよ(笑)。でも、きちんと理屈が通らないと、読者の方が嘘(うそ)だと感じてしまう。調べるのにすごく難儀しました。
信次郎は何を企み何を狙っているのか。
信次郎は何を企み何を狙っているのか。
――このシリーズにはミステリーとしての面白さもあります。前作の『野火(のび)、奔(はし)る』では船が消えてしまう“消失ミステリー”に挑みましたが、今回は内側から鍵のかかった離れ屋で男の死体が見つかります。犯人は意外な人物で、殺害方法も驚くべきものでした。“密室ミステリー”を構成を立てずに書くのは至難の業なのでは?
あさの 探偵小説を書いているつもりはないし、トリックなんて大層なことでもないんです。私の中に「犯人はこの人だ」というのがあって、そのための伏線を張ったり、つじつまの合う説明をつけたりはしました。トリックより、そういう殺され方をする、そういう殺し方をする、人の在り方に興味があったんです。犯人像にも思い入れがあって、いつか書いてみたいと思っていました。
男たちは現(うつつ)をさまよい女たちは根を張り生きる
男たちは現(うつつ)をさまよい女たちは根を張り生きる
――このシリーズは男たちの物語ですが、女性陣の存在がすごく大きい。男はみんな現でないものに引きずられ、揺れ動いている。女たちは地に足をつけ、彼らをしっかり支えているように思えます。
あさの 江戸時代に限らず、何事も女がいないと回らないんです。世の中ってそういうものでしょ? 男たちが夢とか何とか現でないものに惑わされている間、女たちは地に根っこを張って、前を見据えて生きている。例えば、遠野屋の女中頭おみつは次の世代を育てることを考えている。それが遠野屋のためだから。自分がやるべき仕事をきちんと心得ていて、生き方がぶれないんです。もしかしたら、清之介はとんでもない散り方をするかもしれない。でも、女性陣は大丈夫、逞(たくま)しく生きていくと思います。
――思わぬ変化を遂げた女性もいます。おうのが遠野屋を奥で支えるようになるとは、想像もしませんでした。
あさの おうのは『夜叉桜(やしやざくら)』で登場したとき、清之介の兄、宮原主馬(みやはらしゆめ)の囲いものでした。でも、彼女と出会ったとき、これだけで終わりじゃない、もう少し付き合いたいと思ったんです。彼女に惹(ひ)かれたというか、きっと何かあると感じたんです。遠野屋のおくみも最初は奉公にきた少女に過ぎませんでした。でも、『野火、奔る』を書く中で、ただの奉公人ではない“何か”が閃(ひらめ)きました。今回、書き進めながら「おくみは、そっちだったんだ」と思いました。
――八代屋(やしろや)のおちやが遠野屋に奉公してきたことが、おくみの変化に影響しているのでしょうか。
あさの おくみにというより、私に影響がありました。おくみはいずれ、おみつの後を継いで遠野屋の奥を仕切る人材になるはずでした。ところが、おちやという少女の登場で、おくみの存在が立ち上がってきた。おくみを女中頭という型に入れようとする私にストップをかけたんです。おくみとおちやの二人なら、もっと可能性がある。もっと面白いことができる。そう思ったとき、ちょっとゾクッとしましたね。もちろん、彼女たちが物語の中心になることはありません。これからも、信次郎と清之介の関係性を掘り下げていきます。でも、一方で遠野屋の人々の行く末も書いていきたいと思っています。
信次郎は何がしたいのか深まる謎は解(ほど)けるのか
信次郎は何がしたいのか深まる謎は解(ほど)けるのか
――清之介や遠野屋の人々は、日々成長しています。岡っ引の伊佐治(いさじ)も癒やしの存在から、剣呑(けんのん)な闇を解する頼れる男に変わってきました。でも、信次郎は変わらないですよね。いつも同じ場所に立っていて動かない。そして、清之介をじっと観察している。いったい、信次郎は何がしたいのでしょう。
あさの 信次郎は自分でも何を望んでいるのか、わからないのかもしれません。清之介に心惹かれ、本質を引きずり出したいのか、滅びを見届けたいのか。まるで掴み所がない。伊佐治も「得体が知れないのは誰なんでしょう」と言っています。
――シリーズが進むにつれて、むしろ謎が深まっている気もします。本作では、八代屋との確執や清之介の兄・主馬の思惑など、次巻の布石なのかなと思わせる謎が残りました。
あさの 布石のつもりはなくて、この巻では書く必要がないと考えました。ただ、主馬については、いずれきちんと書かなくてはいけないという思いがあります。清之介とおうののためにも決着をつけてあげたい。
清之介は商人の道を全うできるのか
清之介は商人の道を全うできるのか。
――信次郎と清之介の関係は“友情”とか“敵対”とか、一言では収まらないものがあります。二人を結びつけているのは何なのでしょう。
あさの それを知りたくて、書き続けているのかもしれません。理屈ではなくて、唯一無二の相手に出会ったとき、人はどうするのか、どうなるのか。今回、信次郎はいままでと違う「あること」を仕掛けます。清之介の中に一歩踏み込む。その結果、二人の関係性に変化が起こるかもしれません。そのシーンにたどり着いたとき、「ここに向かって書いていたんだ」という高揚感があり、清之介が一瞬見せた「人を殺すことを知っている者」の顔には、ぎょっとさせられました。それは、信次郎の思い通りに“事”が運んだということなのか、予想もしない形で進んで行くのか……。どんな結末が待っているのか、これから、一話一話、慎重に彼らの行く末を見つめたいと思っています。