『大塩平八郎 他三篇』
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瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
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書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「美少女」です。
野崎歓・評 『大塩平八郎』森鴎外[著]※「安井夫人」収録
美少女の決め手となるのは何か。それは「目」であると、森鴎外ならば答えるに違いない。
鴎外作品の美少女たちは、必ず眼差しでアピールしてくる。「舞姫」のエリスは「青く清らにて物問ひたげに愁を含める目」の魅力で、初対面のそのときから豊太郎の心を奪ってしまう。
『青年』の主人公は、近所の娘「お雪さん」の「大きい目の閃」に惹かれる。やがては「山椒大夫」の「大きい目を赫か」す安寿に至るまで、四半世紀にわたり、鴎外の描く美少女像は一貫している。
彼のあまたの作品に登場する目力のある少女たちのうち、「安井夫人」に登場する十六歳の娘・佐代が特別なのは、短編の枠内で一生がまるごと語られる点だ。
器量よしと評判だった佐代には姉の豊がいた。豊に、地元の秀才、仲平との縁談が持ち上がる。のちに儒学者として大成する安井息軒である。幼時の天然痘で容貌が損なわれ「猿」と嘲られていた。豊は辞退する。ところが佐代が、わたしではどうかと願い出た。
周囲は「岡の小町が猿の所へ往く」と噂したが、佐代は夫を支え、子どもを産み育て、労苦の末に五十一で亡くなった。自らの意思で選んだ人生を全うした佐代を鴎外は心から称賛する。
「瞑目するまで、美しい目の視線は遠い、遠い所に注がれていて、あるいは自分の死を不幸だと感ずる余裕をも有せなかったのではあるまいか」
鴎外にとって、彼女の目は終生、美しいままだった。