【書評】〈未知の世界のひとかけら〉を拾い集めることで、私たちはこの世界に希望を抱くことができる。 ――十三 湊『幸せおいしいもの便、お届けします』レビュー【評者:橘 もも】
レビュー
『幸せおいしいもの便、お届けします』
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【書評】〈未知の世界のひとかけら〉を拾い集めることで、私たちはこの世界に希望を抱くことができる。 ――十三 湊『幸せおいしいもの便、お届けします』レビュー【評者:橘 もも】
[レビュアー] カドブン
■箱につまっているのは、 未知の世界のひとかけら――十三 湊『幸せおいしいもの便、お届けします』レビュー
【書評】〈未知の世界のひとかけら〉を拾い集めることで、私たちはこの世界に希…
評者:橘 もも
旅先で、スーパーに立ち寄るのが好きである。見たことのない牛乳、納豆にお豆腐、醬油などの調味料。自分の暮らしている土地では考えられないほど安くて量の多い刺身パックや、意外なところに潜んでいるジビエ。食べたいなあ、と思ってもたいてい賞味期限が短くて、持ち歩くのには適していない。その土地でしか手に入らない、でも雑誌には載らないくらいありふれた「おいしいもの」は、どんなにお手頃価格でも手の届かない憧れの品だ。その憧れがふんだんに詰まっているのが、角川ごちそう文庫の最新刊、十三湊さんの『幸せおいしいもの便、お届けします』である。
SNSが普及したいま、いにしえの存在と化しつつあるBBS。いわゆるネット掲示板。新規参入者はほとんどいない、少数でドラマの感想を語りあうサークルのようなそのサイトをたちあげた、「さおしか」の発案で始まったのが、自分たちの暮らす土地のおいしいものを定期的に送りあう「おいしいもの便」。その試みを〈未知の世界のひとかけらを送りあう〉と冒頭で表現されているのが、まずとてもいいなと思った。
秋田の若きネイリスト(アルバイトのギャル)。脱サラして愛知で喫茶店を営む男性。長崎で異性の同僚と同居しながらともに仕事を営む女性。妻と“卒婚”して広島で母と暮らす元ドラマプロデューサーの男性。そして、諸事情からおいしいもの便に参加できなくなった、徳島のさおしか。バラバラの場所に住むネットの住人たちは、性別・年齢はもちろんのこと、背負っている背景もまるで違う。現実に出会っていたらなかなか「友達」にはなりにくいし、そもそも出会うことすらないだろう人たちと、共通の話題で無邪気に盛り上がり、相手の人となりをなんとなく察したうえで、配慮しあうことができる。それがそもそもの、ネットで人と出会う楽しさであり、〈未知の世界のひとかけら〉を拾い集めることで、私たちはこの世界に希望を抱くことができていたんだよな、ということを思い出せた。
〈同じ国で暮らしていて言葉も通じるから、なんとなく同じように生きている気がしていた。でも、よくよく考えたら、毎年一メートルの雪が積もる場所と、めったに雪が降らない場所で生きている人間が同じ感覚でいるはずがない〉と第1話の主人公、秋田のギャルこと「じゅりあな横手」は思う。生まれ育った場所になじみすぎた自分は、見えるものだけが世界のすべてだと思い込んでいたと、名古屋から送られてきたおいしいもの便を通じて彼女は気づかされるのだけど、彼女の日常をほんの少し変えてくれた〈未知の世界のひとかけら〉は、一年のおためしで徳島から越してきた祖母との交流にも潜んでいた。家族だから、血のつながりがあるからといって、やっぱり同じ景色を見ているわけではないし、同じ価値観で育つわけでもない。自分にとってのあたりまえは、誰かにとっての特別なのだと、祖母を通じて知ることで彼女は、自分の仕事にやりがいを見出し、一歩、踏み出す力を得るのである。
個人的には第3話、長崎の「エルゴ」が同居するビジネスパートナー男性の兄嫁(ややこしい! が、恋愛関係にないので義姉ではないのである)とたいそうな喧嘩をして、思わぬ協定を結んだあとに言ったセリフが好きだった。兄嫁のことを好きになったわけじゃない。仲良くなったわけでもない。ただ、解像度は上がったと、彼女は言う。それが、多様性社会で他者と関わりあって生きるなかで、いちばん大事なことなんじゃないかと、じんと響いた。
別に、すべてを理解しあう必要も、共感して仲間になる必要も、ないのである。ただ〈未知の世界のひとかけら〉を拾い集めて、世界の、そして向き合う人の解像度を上げることさえできれば。どうせ現実なんてこんなもんでしょ、どうせあの人はこう思っているんでしょ、なんて思い込みで拒絶するのではなく、視界に入っていても見えていなかったものの価値を知って、自分には想像も付かなかった誰かの事情や心の内側に触れて、カチコチにかたまっていた自分をやわらかくしていく。それこそが、豊かに幸せになっていくということなのではないだろうか。
と、あれこれもっともらしいことを書いたが、それぞれの話で届くおいしいもの便が、本当に魅力的で、食べたことがあるものもないものもすべて味わうため、旅に出たくなる。日本各地に彼らのような人がいて、無限のおいしいものが存在するのだと思うと、その一部である自分もまだ捨てたもんじゃないなとも思えてくる。