『アリの放浪記 多様な個が生み出す驚くべき社会』
- 著者
- オドレー・デュストゥール [著]/アントワーヌ・ヴィストラール [著]
- 出版社
- 山と溪谷社
- ジャンル
- 自然科学/生物学
- ISBN
- 9784635230124
- 発売日
- 2025/01/10
- 価格
- 3,190円(税込)
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なぜいま動物行動学なのか? フランスで動物行動学に関心が集まる理由
[文] 山と渓谷社
なぜいま動物行動学なのか?
2022年にフランスで刊行されたアリの行動学の書籍が異例の大ヒットを記録した。近年フランスでは生物への関心が急速に高まりつつある。その関心の背景には、気候変動や生態系破壊といった環境問題の深刻化があるという。なぜ、環境問題から動物行動学なのか?
フランスでベストセラーとなった『アリの放浪記 多様な個が生み出す驚くべき社会』の翻訳者、丸山亮さんに翻訳秘話とともに話を聞いた。
写真はイメージです Photo:iStock.com
■フランスでベストセラーになったアリの本
――まずは、原書『L’ODYSSEE DES FOURMIS』の第一印象と、興味を惹かれた点を教えてください。
原書に目を通し始めたときの印象は、実はさほど強くなかったんです。本書の前に手がけた『動物の足跡を追って』(バティスト・モリゾ著、新評論)が動物行動学をめぐる複雑な哲学の本だったので、それに比べるとフラットで読みやすいな、という程度でした。でも気がつくとあっという間に200ページまできていたので、あれっ、これはおもしろいんじゃないか、と。専門性の高い内容ですが、一般向けに書かれていて圧倒的におもしろい。アリがこんなにも社会性に富んだ生き物だったとは知らなかったので、驚きも大きかった。これは訳す価値のある本だ、と確信しました。
のちに調べてわかったのですが、アリ研究の論文はほとんどが英語で書かれているんですよね。大家として知られるエドワード・O・ウィルソンはアメリカ人ですし、ドイツ人のバート・ヘルドブラーも著書の多くは英語で書いています。また翻訳書の場合、英訳されたものから日本語訳が出ることもあります。そうなると、原書のニュアンスはかなり削がれてしまいます。
■フランス語はまわりくどい?
――今回、フランス語の原書を直接日本語に訳していただいたことで、フランス語の特徴が表れた本になったということでしょうか。
そうですね。フランス語には構造上、英語よりもまわりくどい言い方をする癖があります。名詞が女性名詞・男性名詞に分かれていて、指示語にも性別があるので、長い文の中でも明確に目的語を指定することができるからです。
英語の場合、文が長すぎるとどのitの話をしているかわからなくなるため短く区切られる傾向がありますが、フランス語では、男性形、女性形、単数系、複数形それぞれを1つの文章の中で明確に振り分けることができるので、どこまでも長くなることが可能なのです。それがある種のまわりくどさ、わかりにくさを生んでいるとも言えますが、フランス語らしさ、心地よさにもなっている。英語に訳すと短くパキパキした文章になるし、そこからさらに日本語に訳せば、まったく違った印象になると思います。
今回は科学読み物ということで、読みやすさを重視して書かれていたため、文章構造はわかりやすく、その点では苦労はありませんでした。むしろ大変だったのは、アリにまつわる事実を正確に訳出することです。まず、アリの名前が非常に難しい。本書に出てくるアリのほとんどが、日本には生息していない種のため、和名がついていないのです。ラテン語の学名は世界で共有されているものの、時代によって変わることがある。名前をめぐる歴史には振り回されました。インターネットで検索してもヒット数がわずか3件なんてことがざらにあり、結局、巻末に掲載された参考文献を一通り参照するハメになりました。
■アリの世界を理解するために
――翻訳が素晴らしいと好評を得ています
この本の翻訳で難しかったのは、図や写真がいっさいないことです。すべてが言葉で説明されているのですが、「アリの足」とだけ書かれていても、アリには足が6本あるから、どの足の話をしているのかがわからない。関節の数も多いので動きが複雑ですし、どんな体勢でどこに立っているのかをイメージするのがすごく難しかった。
私自身の頭の中で情景が描けていなければ、読者に伝えることはできません。具体的にイメージができない文字だけの生物読み物ほどつまらないものはありませんよね。そこで、読者が脳内でアリの行動を具体的にイメージできるように、まずは事前に調べて正確に理解するよう心がけました。
アリの基礎知識を頭に入れようと資料を探す中で頼りになったのが、丸山宗利さんの本と、アリ専門店「AntRoom」を運営するアリマニア、島田拓さんのブログやYouTubeチャンネルでした。お2人の資料は写真も豊富で、本当に助けられました。
2人ともフィールドワークを通して生物への尽きない興味を探究されている点がオドレーとアントワーヌの2人と同じだったのも、大きかったです。
昆虫研究というと、解剖学的に行われるイメージがあったので、これほどフィールドに出てなんだかわからない昆虫の生態を必死に理解しようとしている人がフランスにも日本にもいることに感動しましたし、それがこの本のおもしろさだと思いました。なぜアリがこんな行動をするのかが、著者たちにも最後までわからない。そこがリアルなんです。
■利き手を変えて著者になりきる?
もう一つ大変だったのは、著者が2人いることでした。翻訳中は、自分と原著者が頭の中で同居しているような状態になるんです。自分が見ているものと、著者が見ているものが重なってきて、自分の言葉の半分が著者のものになり、著者の目を通して世界を見るような状態になります。1人でも複雑ですが、今回は2人。途中でオドレーになったり、アントワーヌに戻ったりするので大変でした。
当初は、アントワーヌの執筆した章のほうがおもしろいなと思っていました。砂漠でアリを飛ばすなど、実験のおかしさやストーリー性に謎解きのようなワクワク感があるし、話の筋が掴みやすいので訳すのも楽だったんです。一方、オドレーの章は掘り下げるかと思ったら、止まって別の話に飛ぶなど、話を横に広げていく感じがあり、アントワーヌとはリズムがまったく違う。まるでアントワーヌが右利き、オドレーが左利きのような感じで、すごく気持ちが悪いんです。しばらく悩んでいたのですが、ある日、それなら利き手を変えてみればいいんだ!と思いつきました。
以来、右脳と左脳を使い分ける感覚で、アントワーヌの章を訳しているときは右手で生活し、オドレーの章を訳すときは左手を使って生活するようにしました。そしたらうまくいったんですよ。普段使っていなかった左手を使うと、オドレーの言っていることがすごくよくわかるようになった。食器を置く位置を利き手に合わせて入れ替えるといった作業をするうちに、利き手と逆の手の働きの重要性にも気づきました。ご飯を食べるにしても、箸を持つ利き手と逆の手がちゃんとお茶碗を持ち上げてサポートしてくれるから利き手も働くことができるのだと。オドレーを訳しているとき感じていたモヤモヤ感は、茶碗をもつ左手の感覚と同じだったのです。
しばらく左手中心の生活を続けるうちに、オドレーの章がしっくりき始めました。私はもともと辛抱強いタイプで、長い文章を読むのは好きでしたが、オドレーの文章が体の一部になるにつれ、そこに散りばめられた工夫に気づくようにもなった。アントワーヌは用語をしっかり統一していますが、オドレーはいかにバラバラに書くかを意識していたり、話をあえてあちこち飛ばそうとしたりしている。
アントワーヌの書きぶりは、同じ男性としてわかる部分も多く、女性であるオドレーの文章のわからなさは性差にも由来していたのだと思いました。言葉は男女共通だと思われがちですが、訳してみるとまったく違う。私はマッチョな思想が嫌いなので、自分には男性的な思考はないだろうと思っていたのですが、オドレーよりアントワーヌのほうが訳しやすいと思っている時点で、やはり男性目線なんだな、と気づいたりもしました。
■フィールドに出る
――著者の気持ちになるために利き手を変えて生活するとは、驚きです。
動物行動学の本だったからこそ、そういう発想になったのかもしれません。ある意味で、アントワーヌやオドレーのフィールドワークのやり方を踏襲したということです。身体の問題と捉え、行動を変えてみたらうまくいった。
翻訳作業をする中でアリに興味が湧いてきて、実際にフィールドに出たりもしました。訳し始めた2月はまだ見かけませんでしたが、2023年5月、事務所近くの公園にいるアリを見つけたときは「やっと出てきたか」と、うれしかったですね。「これはメスなんだなあ」と思いながらじっと動きを眺めました。その後、暖かくなるにつれてよく見かけるようになりましたが、知識の乏しさがもどかしかったです。宗利さんもアリの種類を即座に見分けられるようになるには10年はかかると書かれていた気がします。
でも、1年間アリを見続けるうちに、アリがどのように他者と交流しているのか、行動の理由が少しずつわかってきました。衝撃だったのは、アブラムシを育てるアリを観察したときのことです。アブラムシのいる草にアリがたくさんひっついていたのを見つけ、これは何かが起きそうだぞと思って観察していたら、てんとう虫が飛んできて、葉っぱにとまった瞬間、2、3匹のアリが見たこともないスピードでバーッと走り寄ってきたんです。アリが全速力で走っているところなんて見たことがなかったので、それは驚きました。アブラムシを育てるアリにとって、てんとう虫は天敵です。速攻で追い出さなければいけないんですね。それを見て、オドレーが書いていた「葉っぱに乗った瞬間、その振動から種類を感知して追い出しにいく」というアリの習性を思い出しました。
でもそういう知識のない状態で同じ光景を目にしても、ただアブラムシのたくさんついている草にアリがいただけ、となってしまいます。私はてんとう虫がアブラムシを食べにくる天敵だと知っていたから、「何か起こりそうだ」とてんとう虫に注目したし、そのおかげでアリが退治するシーンを目撃することができた。
こんなおもしろいことが常に繰り広げられているのなら、宗利さんや島田さんが夢中になるのもわかるな、と思いました。
振り返ると、私も子どもの頃はよくアリを見ていましたが、大人になったらすっかり遠ざかってしまった。背が伸びて地面から遠くなり、見えなくなったからですかね。アリを見ようとしゃがんでみると、地面の世界がきれいに見えます。アリの視点で地面を見ていると、タバコの吸い殻や包装紙などのゴミは巨大で邪魔なので、拾わなきゃと思ったり。それぐらい感覚が違ってきます。
本書の翻訳中には、近所にある保護区のような自然公園にもたびたび出かけ、季節ごとの生物の移り変わりを確かめました。アントワーヌやオドレーがフィールドワークをしているのに、自分だけパソコンの前に張り付いているのは嫌だったのです。研究者たちは長期間、植物や動物に囲まれて生活し、観察に集中します。その感覚を訳者として獲得したいし、彼らが感じていることを感じるためには、こちらの行動を変えるしかない。森に通うようになったことも、私にとって大きな変化でした。