『ダンス』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
女性が会社を書くようになって風景が変化した「会社ワンダーランド」の系譜
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
鴻巣友季子・評 『ダンス』竹中優子[著]
会社員小説というジャンルは、ずいぶん様相が変わったなあと思う。もはや、文学界きってのワンダーランドと言っていい。
古くは佐々木邦から続くこの分野、宮仕えの悲哀や滑稽さを描くのが定番だった。トーンが変わってきたのは、女性が会社を書くようになったからではないか。変化を感じたのは、同期入社の男女の友情を描く絲山秋子の「沖で待つ」(二〇〇五年発表)だった。そこにいるのは「OL」ではなく女性のサラリーマンだ。
その後、巨大工場に勤務する人びとをシュールに描く小山田浩子「工場」があり、平凡な社内風景がディストピアに変容する村田沙耶香「殺人出産」があり、会社員の心の闇を穿つ高瀬隼子の「おいしいごはんが食べられますように」があった。
竹中優子の『ダンス』もそうした会社ワンダーランドの系譜に堂々と連なるだろう。
語り手の「私」はいまの会社に入って二年経つが、まるで周りに馴染んでいないと感じている。先輩の下村さんが会社を休むので話を聞いてみると、同僚の彼氏に振られ、むこうは新しい非常勤の女性と付き合うことになったという。
よくある話といえばそうだ。しかし色々と変である。下村さんはミニスカートに派手な化粧をしてきたり、婚活を始めて三十九度の熱を出したり、「私」を夜の公園に呼びだしたりする。その様子は「私」によって奇行めいて描写されている。
とはいえ、いちばん何が変かって、それは語り手の眼差しだろう。タイトルの『ダンス』の由来を見ればわかる。それは泥酔した下村さんの奇妙な動きなのだ。「やせ衰えていくことが生命の輝きであるかのように、苦しんでいるんだか楽しんでいるんだかよく分からないダンスを踊っているようにも見えた」と。これを飄々と語る「私」は死の影をうっすらと感じている。作者の才能もここに輝いている。