『地図なき山』
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生命の危機に直結するような「混沌」。移動の原点に立ち返って見えたもの
[レビュアー] 篠原知存(ライター)
紙の地図を使わなくなってどれぐらいになるだろう。車にはカーナビがあるし、スマホにもGPS機能がついて、たいていの場合は迷うことなく目的地に着くことができる。
進化を続ける地図。でも当たり前のようにその便利さを享受している私たちは、〈よりよく生きる〉ことから遠ざかっているのでは、というのが本書が問いかけるテーマだ。
著者はチベットの空白域や極夜の北極探検などで知られる探検家。冒険を重ねるうちに、地図がもたらす心の動きに興味を抱いた。まったく情報のない未知の空間に歩を進めるとはどういうことなのか。〈人類は古来、地図のない世界を移動し続けてきた。彼らがみた風景を覗いてみたい、移動の原点に立ち返りたい〉
地図なし登山の舞台に選ばれたのは北海道の日高山脈。まっさらの状態で挑むために何年もこの山域の地図は見ないようにしていたそうだ。とはいえ、前人未踏のエリアというわけではない。入山後しばらくは、原始の荒野を旅しているつもりなのに釣り人と会ったり、次から次にダムや林道が出てきたり、行動はどこか滑稽さも帯びている。
だが、悪天候の中で地形が厳しさを増していくと、地図がないことが生命の危機に直結するようになる。現在地がわからない、向かう先の地形が読めない、自分の行動が正しいのか自信も持てず……。
最初の山行で、大きな滝を前に引き返した時の心理が克明に記録されている。〈登れないと即断した。技術的な問題ではなく、先の見えない山がもつ、山の本源的恐ろしさに押しつぶされたのだ〉。踏み込んでみた地図のない世界は〈あまりに渾沌としており、人間が生きるにはつらすぎる場所だった〉。
地図の有無で世界が違って見えてくる。じつに面白そうで、試してみたくなる。もちろん山岳なんかでは無理だけど。地図を捨てて、知らない街で迷ってみたい。