「気になるなら、取れば?」ホクロやシミがない韓国人…美容大国になった理由に迫った一冊とは

エッセイ

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美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる

『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』

著者
エリース・ヒュー [著]/金井 真弓 [訳]/桑畑 優香 [監修]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学、その他
ISBN
9784105074418
発売日
2025/02/17
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「美しい韓国人」に記者がストレートに切り込んだ

[レビュアー] 桑畑優香(翻訳家)


なぜ韓国は美容大国になったのか?(写真はイメージ)

 そばかすのことなんて、生まれてから30年間、一度も気にせず、むしろキュートだと思っていたアジア系アメリカ人記者のエリース・ヒューさん。

 赴任先の韓国人に「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお、チュグンケ(そばかす)!」と言われてから興味を持ったのが、韓国スキンケアの常識と美意識だった。

 その体験や取材で得られたことを元にした『美人までの階段1000段あってもう潰れそうだけどこのシートマスクを信じてる』(新潮社)には美容大国になった韓国が描かれている。

 本作の読みどころを、韓国語監修を担当した桑畑優香さんが紹介する。

桑畑優香・評「『美しい韓国人』に記者がストレートに切り込んだ」

「気になるなら、取ればいいじゃない。わたしは目を大きくしたいの」

 いともたやすくこう言ったのは、韓国人の友人でした。約20年前、一緒にご飯を食べながら「左ほおの濃いシミがずっと気になっていて……」と打ち明けた時のこと。その数年後に再会した時、彼女の目は本当に大きくなっていました。ついじーっと瞳を見つめながらも形の変化にはなぜか触れてはいけないような気がして、あえて話題に出さないまま。それでいながら、さらに濃くなった自分のシミが恥ずかしくてうつむきがちだった記憶があります。

 以来、テレビを見るたびに韓国人の顔を観察するようになりました。ドラマに出ている俳優もK-POPアーティストも、たいていシミどころかホクロもありません。一国を代表する政治家の方々もしかり。著名人だけでなく、ほぼすべての友だちの顔からも、近年急速にホクロやシミが消えていく現象に気がつきました。日本では「する」だけでなく、「語ること」さえタブー感が漂うお顔の密事。ふと周りを見れば、コンビニにもドラッグストアにも韓国コスメがあふれています。隣の国は、なぜかくも美容大国になったのか――。

 ファッションやコスメ、ドラマや音楽など韓国カルチャーが身近にある日本では、「韓国人がきれい」なのは、あたりまえのようになっていて本質が見えにくい。そこにまっさらな感性でストレートに切り込んだのが、エリース・ヒューさんです。NPR(米国公共ラジオ放送)の特派員として、2015年の初めから18年の終わりまでソウルに滞在。それまで生まれて30年間気にしなかった(むしろキュートだと思っていた)そばかすに「おおおおお、チュグンケ(そばかす)!」とリアクションされたり皮膚科を勧められたりすることに違和感を抱いたエリースさんは、「記者としてではなく、女性としての好奇心から」「これまで目にしたり雑誌で読んだりした、あらゆるベトベトの商品をためす」ことに。その視点には、アジア系アメリカ人記者というアイデンティならではの、外からの観察眼と、内側からの共感がバランスよく共存しています。

 エリースさんは、フットワーク抜群。そばかすを消すためのBBクリームはもちろんのこと、江南のクリニックでの毛穴吸引や顔面注射(274回)にも果敢にチャレンジするなど、「皮膚管理」を重ねていきます。麻酔クリームを塗ったにもかかわらずしっかりと感じる施術の痛みや、ダウンタイムの顔の腫れを体感し、医師の前で「こんな思いをするのは何のためでしょうね」と泣き言を言いながら。さらには生後8週間(!)の娘を、韓国では珍しくないというフェイシャルエステに連れていったりも。取材と実益を兼ねて、まさに本書のタイトルである「美人までの階段」を登っていくのです。

 ジャーナリストとしてのエリースさんのさらなる本領が発揮されるのは、そこからです。自ら美容体験を重ねて、見た、感じた疑問をもとに、7歳から73歳まで何百人もの韓国人女性をインタビュー。文献とともに韓国が美容大国になった理由をつまびらかにしていきます。

 とりわけ興味深かったのは、歴史をひも解き、化粧品を「女性たちの武器」であると定義していたこと。日の当たらない屋内で夫に仕えるのが女性の美徳とされた朝鮮時代は、白いきれいな肌が美の象徴だったといいます。ところが日本の植民地時時代以降、洋装に化粧をした「モダンガール」が台頭。メイクによって階級やジェンダーや民族性を「偽装する」ことができたと、著者は説きます。また、1970年代の朴正煕政権下では政府支給の制服を着ていた工場労働者たちの女性たちが、華やかなメイクをしたことについては、化粧が「反逆と抵抗の象徴となり」「現代性や自由も誇示した」とも。

 本書には、K-POPマネジメント会社の体重制限や、ルッキズムの深い闇も記されていて、決して美容礼賛の本ではありません。でも、読み終えた後に、思ったのです。「しみ、取ってみようかな……」と。生来、服装やメイクにはまったく無頓着だったはずなのに。

 かつて、整形についての映画を作った韓国の監督から、こんな話を聞いたことがありました。「整形には二種類ある。コンプレックスを解消するための整形と、十分に個性があるのに表面的な流行に合わせたり周りと競争したりするための整形。前者は個人的に共感できるが、後者は高い所に登れば登るほどもっと危険になるように、悪循環に陥っていく」と。この言葉がふと浮かび、「小さなコンプレックスが解消できるなら」と思ったのです。自らの体のあり方を決めるのは、自分自身。メイクの力が韓国の女性たちを解き放ってきたように、医療の力を借りた「皮膚管理」も、自分を自由にするひとつの方法なのかもしれません。

 かくして、この原稿をかいているわたしの顔には、先日シミを取った跡がかさぶたとして残っています。これからさらなる「階段」を登りたくなるのか、途中で降りるのか。悩んだ時には、再びこの本と向き合ってみたいと思います。

新潮社 波
2025年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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