『友が、消えた』
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【書評】ここには小説のおもしろさがすべて詰まっている。――金城一紀『友が、消えた』レビュー【評者:早見和真】
[レビュアー] 早見和真(作家)
『GO』で直木賞、『映画篇』で本屋大賞5位、近年は脚本家として多くのヒット作を生み出す金城一紀さんの13年ぶりの書き下ろし小説『友が、消えた』(KADOKAWA)が刊行された。
本作は『レヴォリューションNo.3』からはじまる「ザ・ゾンビーズ・シリーズ」の最新作だ。現代社会に蔓延する閉塞感を打ち破る青春小説の魅力とは?
「これだけ息苦しい、どん詰まりのような日常を生きているからこそ思う。そんな世界との向き合い方が、ここにはこれでもかと詰まっている」と絶賛する、小説家の早見和真さんの書評を紹介する。
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ずっと楽しみで、こわかった。
僕がもっとも影響を受け、いまだに憧れてやまず、唯一(こっそりと)SNSをフォローしていた小説家の新作だ。
もう何年も前から、金城さんのSNSには小説を書いていることを匂わせる文章がたびたび上がっていた。
たいていの“匂わせ”に対して腹を立てる僕が、金城さんのそれにはしっかり踊らされた。それらしい文章がアップされるたびに同世代の編集者にURLを送りつけ、KADOKAWAの自分の担当にはしつこく「いつ出るの?」と尋ね続けた。
その甲斐あって、発売の一週間前に『友が、消えた』の見本をいただいた。
帯に記された〈13年ぶり最新作〉の文言に、身が引き締まる思いがした。
あらすじに目を通してさらにおどろいた。「大学生の南方――」の文字。うわぁ、そうなんだ。これ、ゾンビーズの続編なんだ――。
なぜ、その旨を帯に記さないのか? そう尋ねようとして、口をつぐんだ。それこそが十三年という時間の重さだ。
あの頃の読者がどれほど残っているかわからない。“ザ・ゾンビーズ”という単語にどれだけの人がワクワクするのか。その語感から『ウォーキング・デッド』のようなものを想像する人だっているかもしれない。
この日は早々に食事を切り上げ、自宅で本書と向き合った。
胸はこれ以上なく高揚しているのに、不安も感じる。著者にとっては十三年ぶりの新作かもしれないけれど、僕の脳裏をかすめるのはシリーズの一作目、「小説現代」に掲載された短編『レヴォリューションNo.3』を読んだときの衝撃だ。
調べてみると、1998年の5月号とある。前世紀のことなのか。あの頃、平成を生きる二十歳の若者だった僕が、いまは令和の四十七歳だ。
ちなみにシリーズ二作目『フライ,ダディ,フライ』の主人公、鈴木一がまさに四十七歳である。
当時は“ザ・ゾンビーズ”に目いっぱい感情を乗せて読んでいた僕が、いまはもう「おっさん、空を飛んでみたくはないか?」と問われてしまう側なのだ。
不安の大半はそれだった。あの頃、若く、才気走った小説家が世に放った作品を、同じく若く、人生をどうにかしようともがいていた人間が受け取った。そのアンテナが鈍っていることを突きつけられるのがこわかった。オジサンの青春回顧ほどみっともないものはないと知っている。
そんなことを思いながら、ページをめくった。南方は大学生になっていた。舜臣はいないし、萱野はいない。山下もいないし、アギーもいない。ドクター・モローも当然いない。
それでも、本書は間違いなく金城さんの描く“ザ・ゾンビーズ”の世界だった。
南方が困っている仲間のために立ち上がる――。
そんなストーリーの大枠に加え、あいかわらず端的で、正しく配置された文章に、著者自身の体幹の強さを感じさせるアクションシーン、思わず深読みしたくなる美しいセリフ回し、その思想を真似したくなるキャラクター造形……。
現実社会との不思議なリンクも含め、ここには小説のおもしろさがすべて詰まっている。
それは間違いないけれど、それ以上に僕が結局、たまらなく本書に感動してしまうのは、金城さんが何も変わらず人を信じ、世界を諦めていないのを感じたからだ。
南方の目を通した世界はくすんでいるが、それでも彼はゆっくりと腰を上げる。
そして、不条理に立ち向かう。
〈もう一人の僕が耳元で囁く。
世の中なんてこんなもんだろ。
本当に。本当にそうなのか?〉
いつか自分もこんな文章を書きたいのだと、あいかわらず、どうしようもなく思わされる。
本書がどれくらい売れているのか、僕は知らない。
もし仮に前作より売り上げが落ちているのだとすれば、それは金城さんが、ではなく、出版界全体がこの十三年で失ってきた小説の読者の数だ。
あの頃の読者に帰ってきてほしい。読めば必ず当時のワクワクがよみがえる。
その気持ちがある一方で、いまこそ新しい読者に金城一紀という小説家と出会ってほしいと強く思う。
しつこいようだが、ここには小説のおもしろさが詰まっている。
そしてこれだけ息苦しい、どん詰まりのような日常を生きているからこそ思う。
そんな世界との向き合い方が、ここにはこれでもかと詰まっている。