『孝経 儒教の歴史二千年の旅』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
『孝経 儒教の歴史二千年の旅』橋本秀美著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
『孝経』は儒教の経典の一つであるが、読者にとってはなじみが薄いだろう。『論語』や『孟子』は今でも高校の古典(漢文)の教科書に使われているものの、近代化によって儒学教育の伝統が断ち切られたために、『孝経』まで読む人は研究者のみ。
だが『孝経』は、親への孝という身近な実践から始まって、天下全体にまでわたる「人の道」の体系を手短かに示す書物として、かつては儒教を学ぶ年少者が必ず読むものだった。しかも「今文(きんぶん)」「古文」と呼ばれる二種類の本文が存在し、歴史上さまざまな注釈が重ねられてきた点で、テクストのあり方それ自体が、中国思想の歴史を体現している。そのようすを着実かつ簡潔に教えてくれる新書である。
後漢の時代の注釈者、鄭玄(じょうげん)をめぐる記述がおもしろい。自分の常識をいったん脇に置き、どんなに突(とっ)飛(ぴ)な結論と思えても、経文の字句のすべてを一貫して位置づけられる解釈をめざすこと。その態度は著者が「あとがき」で示すように、他者を理解し、人間社会を成り立たせる思考の方法へと遠くつながっている。(岩波新書、1056円)