『ヤギの睾丸を移植した男』
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『ヤギの睾丸を移植した男 アメリカで最も危険な詐欺師ブリンクリーの天才人生』ポープ・ブロック著
[レビュアー] 宮内悠介(作家)
偽医師、文化の立役者に
サアサア、お立ち合い。御用とお急ぎでなかったら、ゆっくりと聞いておいで――。こんな口上とともに、あたかも万能薬のように売られたガマの油。少なくともなんにでも効くわけではないから、この口上は詐欺と言っていいだろう。医療が発達し、EBM(根拠に基づく医療)といった言葉が生まれても、詐欺的な医療はあとをたたず湧いて出る。それは太古からあり、たぶんこれからもありつづける。病が治るかもしれないという誘惑に抗(あらが)うのは、難しい。
本書が扱うのは、大戦前のアメリカに実在した偽医師、ジョン・R・ブリンクリーだ。彼がどういう医療を提供したかは、題名の通り。精力増強や若返りを掲げ、ヤギの睾丸(こうがん)を人に「移植」したわけだ。これによってブリンクリーは巨額の富を得て、あわや州知事にまでなりかけた。彼が巧みであったのは、当時最先端のメディアであったラジオ局を自分で持ち、それを活用して宣伝したことだ(しかもそれが、一九三〇年には全米第一位のラジオ局になる)。
皮肉なのはここからだ。ラジオだから、当然コンテンツがいる。そこでブリンクリーはカントリーを流す。これによって、カントリーミュージックの一つの基礎が築かれる。つまり彼は詐欺師でありながら、結果的に、文化の立役者にもなっていたわけだ。とかく、話題に事欠かない。最新のメディアを活用して型破りな支持の集めかたをしたという点で、現地ではトランプ現象と重ね合わせられたりもしたようだ。
数え切れない被害者がいて、ブリンクリーの手術による死者の数さえわからない以上、彼を擁護することはまったくできない。しかし、インチキなオヤジが金を稼ごうとして、何度挫(くじ)けても立ち直る、そのデタラメな生きかたに、何か惹(ひ)かれる部分があったことは白状しなければならない。ガマの油売りの口上が、現在は伝統芸能となっているのも、やはりそこになんらかの魅力があるからだろう。杉田七重訳。(国書刊行会、3190円)