『忠臣蔵の四季』
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<書評>『忠臣蔵の四季』古井戸秀夫 著
[レビュアー] 長谷部浩(演劇評論家)
◆「見たまま」魅力を案内
歌舞伎座で三大名作のひとつ『仮名手本忠臣蔵』が序幕から通しで上演されるのは12年ぶり。赤穂浪士の仇(あだ)討ちを題材としたこの演目に関心があつまる今、時を得た一冊が出た。
章立てを見ると、雪月花、そして春夏秋冬、日本人の精神性を語るときのキーワードが並ぶ。花鳥風月をめでる風雅の書かと思って読み始めた。ところが、通俗的な枠組みにはよりかからず、正攻法で歌舞伎、文楽の『仮名手本忠臣蔵』の魅力に迫っている。史実から「忠臣蔵」諸作のヴァリエーションが生まれ、先人の役者の工夫の末に現行の舞台へと結実していったとよくわかる。
根本にあるのは「芝居見たまま」。耳慣れぬ用語かもしれないが、明治から昭和を代表する演劇雑誌『演藝畫報(えんげいがほう)』の伝統を受け継ぎ、舞台をまだ見ぬ読者にも、なにが行われたのかがよくわかる筆法である。舞台のおもしろさを淡々と読者に伝えたい。そんな願いに貫かれている。
私は、七段目「祇園一力茶屋」を紹介する章の、寺岡平右衛門の解説に惹(ひ)かれた。身分の低い足軽であるがゆえの苦渋、妹お軽を斬ってまでも四十七士に加わりたい願いの切なさ。本書はモデルになった寺坂吉右衛門の史実をたどり、その身分がゆえに、かえって劇中では大役へと成長していく哀(かな)しみを訴える。
また、演劇史のみならず、背景にある風俗にまで文献にあたっており教えられる。たとえば、「忠臣蔵の冬」に収められた八段目「道行旅路(みちゆきたびじ)の嫁入」。加古川本蔵の娘小浪は、母の戸無瀬と連れ立って、大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)の嫡男、力弥(りきや)に嫁ぐべく、東海道を上り、京の山科を目指す。「記紀万葉」に遡(さかのぼ)り「道行」の起源をたどるのはもちろんだが、学問的な追究はほどほどで止める。筆は転じて、女ふたりが旅するときの「女手形」や関所での心付け、道中の持ち物についての文献にまで筆がおよぶ。考証のいかめしさを避けた知識の宝庫である。まさしく大人の余裕が生み出したもうひとつの「忠臣蔵」であった。
(白水社・4290円)
1951年生まれ。歌舞伎研究者、東京大名誉教授。
◆もう一冊
『忠臣蔵』戸板康二著(東京創元社、品切れ)。平易で滋味あふれる「忠臣蔵論」の名著。