『カット・イン/カット・アウト』
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松井玲奈『カット・イン/カット・アウト』(3/26発売)漠然とした不安を抱えている人が、一歩前へ踏み出せる物語を
[文] 三浦天紗子(ライター、ブックカウンセラー)
松井玲奈
代役が本物になっちゃった─。50代の脇役女優が、舞台開幕直前に倒れた主演アイドルの代役を務めたことからスターになっていく顛末と、それを取り巻く人間模様を描いた松井玲奈さんの新刊『カット・イン/カット・アウト』。
舞台に関わるさまざまな人々が胸の内に秘めた葛藤と、交錯する人間関係。アイドルグループで活躍し、のちに俳優として表現の場を舞台や映像に、さらに文筆活動に広げた松井さんだからこそ描けたリアルな物語は、「小説すばる」連載中から大きな反響を呼んだ。
自分はなぜここにいるのか。そもそも、自分とは何者なのか?
作中、登場人物たちが反芻する問いを、書きながら自身にも投げかけ続けたという松井さんに、創作の“舞台裏”を尋ねた。
知られざる、この人の物語を書きたい。俳優として見聞きした体験をベースに
―― デビュー作『カモフラージュ』、続く『累々』と、繊細な恋愛小説からホラーテイストの不思議な作品まで、さまざまな手法で人の心の深層を描いてきた松井さん。新刊『カット・イン/カット・アウト』は芸能界に身を置く人々を中心に描いた、バックステージものの連作短編集です。ご自身も長く身を置いている世界のことをいつかお書きになるのではと期待していましたが、この物語の構想はどんなところから始まったのですか。
バックステージもの、というジャンルがあるんですね。実は前の作品を発表した後に書き始めていた小説が1本あったのですが、それが行き詰まってしまい、編集の方から「気分転換に、何か短いものを書いてみませんか? 」と提案されたんです。そのとき、以前からこの人の話を書いてみたいと思っていたアイデアがあったのを思い出し、今だ! と書き始めたら、案外、スルスルと書けて……という感じの始まりだったと思います。
―― 「この人」とは、全6話の連作の幕開きの一編「私は誰のために」の主人公・マル子のことですね。普段は舞台のバイプレーヤーとして脇を固める52歳のベテラン。人気劇団・劇団潮祭(しおさい)の新作舞台の開幕直前、ヒロインを務めることになっていた20代のアイドル・中野ももが不測の事態に陥り、その台詞や動きを完璧に覚えていたことで、急遽、演出家から代役に指名されます。
少し年配の舞台女優を主人公にしたいということはずっと前から思っていて、そこからどう物語を動かすかと考えたときに、誰かの代役をすることでその人の人生が動いていく、そんな展開を思いつきました。彼女の境遇が変わることによって周囲の人の人生もまた動き始める、そんなストーリーを書けたらと。
実際、私も舞台や映像の現場に行くと、そこには自分が何をするべきか、自分に何が求められているかをしっかり理解しているベテランの先輩俳優の方々がいて、ミッションを遂行するように丁寧なお仕事をされているのを見ます。私や、私よりも若い年代の俳優たちは、何か爪痕を残そうと意気込み、ときどき空回りしたりもするんですが、先輩たちにもきっとそんな時代があって、それを経て自分のステージを把握し、今のように落ち着いていられるのだろうなと……。そんな方々の人生が変わっていく物語はきっとおもしろいだろうし、書けばきっと発見があるんじゃないかと感じました。
―― マル子にはモデルが存在するということですが、他にも実体験が生かされた箇所があるのでしょうか。
はい。小説を書いているときは、稽古場や劇場にいてもどこか頭の片隅に小説のことがあるので、共演者の話したエピソードの断片がアンテナに引っ掛かり「この状況は作品に使えるかもしれない」「詳しく聞いておこう」と思うことが多く……。なので、自分自身の体験ではありませんが、現場で見聞きした話が今回の作品の中にはけっこう盛り込まれています。
また、ドラマや映画では1本の作品やひとつの役で、ある俳優の人気や注目がドンと「跳ねる」ことがよく起こりますが、舞台ではそれがなかなか起こりにくいんですよね。映像と比べてクローズドな空間ということもあるのですが、そこには本当にすばらしい俳優の方たちがたくさんいるので、もっともっとスポットが当たってほしいということも、書きながらずっと思っていました。
闘う人がいれば、その姿を見守る人も。誰もが、本当はひとりじゃない
―― 役との年齢差を乗り越えて代役を見事に演じ、脚光を浴びるマル子。その対比となるのが、降板した「ももちゃん」こと中野ももの存在です。子役からキャリアを積み、アイドルグループ「スピンズ」の一員となったももは、演じることに自身の存在意義を見出そうと舞台に挑みますが、演出家からの厳しいダメ出しとプレッシャーに追い詰められることに。作者と作品は別物なのですが、アイドル活動を経て俳優として、ひとりの表現者として脱皮しようともがく彼女の姿に、つい松井さんを重ねてしまいました。ご自身でも、書いていて身につまされる部分があったのではないでしょうか。
そうですね。私自身のことではないとしても、壁にぶつかった経験があるのは同じなので……。舞台でも映像でも、今、現場に行くと、そこには私より年下の俳優たちがたくさんいて、頑張っているけれども思うようにできなくて悔しくて塞ぎ込んでいる様子はよく目にします。
ももちゃんはこの先仕事を続けていくにはどうしたらいいかと考え、今、目の前にあるアイドルというカードを選択した人。ある意味、自分自身が商品だと自覚する潔さを持っている子です。そんな彼女が芸能界でどう戦おうとしているのか、そのプライドや格好よさも表現できたらいいなという思いで書いていました。
―― この二人を軸にしつつ、物語はさらに別の立場の人物を取り込みながら進んでいきます。第2話「僕はなんのために」に登場する〈僕〉は、いわゆる“もも推し“の大学生。彼女を目当てに取ったチケットで劇団潮祭の舞台を観に行き、代役のマル子の芝居に感銘を受けて彼の人生も動き始めます。舞台の上から外へ視点がずらされることで、目の前の世界がより立体的になる感覚を味わいました。
ありがとうございます。最初はマル子さんの話の続きを書くか、ももちゃんの物語にするかと考えたのですが、ふと、この舞台を観に来た人が何を思ったのかというのもおもしろいんじゃないかと。ちょうどコロナ禍の頃、劇場に行ったものの、推しがその日は出演できなくなり、劇場前で肩を落とすお客さんたち、といった状況がよく見られたので、その人たちがどんな気持ちで応援していたのか、その気持ちにも焦点を当ててみたくなりました。それはある意味、自分が応援される側でもあるからだと思います。
「会えて幸せ」「うれしい」と満たされる気持ちにはなるものの、応援って、よく考えたら物質的な見返りは何もないんですよね。なのに応援してしまう、それはいったいなぜなんだろう? と深掘りしたくなって……。この一編を書いてみて、自分としてはとてもしっくりくる部分がありました。
―― 第4話「あなたのために」は、映像の仕事も入り始めて多忙になったマル子についたマネージャー、揚塩(あげしお)亜華覇(あげは)の視点で綴られます。インパクトの強い名前を持つ若い男性ですが、突然向けられたスポットライトに戸惑う年上のマル子を陰に日向に気遣い、〈今日は自分のために舞台に立ってきてください〉〈もっとわがままでいいんですよ〉と声かけをするなど、実に気の利いたサポートぶりです。
この人にもモデルがいるんですが……(背後にいる女性をチラリと見て)本人がいる前で言うのは恥ずかしいんですが、私のマネージャーさんなんです(笑)。マル子さんをしっかり支えてくれる人が側にいたらいいだろうなと思ったとき、身近にいる彼女を頭に置いて描き始めたら、どんどん先が書けて。亜華覇くんの名前が派手なのは、以前のマネージャーさんの名前がやはり派手で覚えやすかったから(笑)。そういう意味では、亜華覇くんは私が今までに出会ってきたマネージャーさんたちの集合体なのかもしれません。
マル子さんは自分はひとりぼっちだと思っていますが、実は側には亜華覇くんがいるし、舞台の仲間たちが応援してくれている。ももちゃんにも、遠くで見ている〈僕〉、道永(みちなが)くんのような人がいるわけです。対比となるこの二組のように、誰にとっても見守ってくれる存在がいるんだよということが伝わったらいいなと思いました。