『父が牛飼いになった理由』
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河崎秋子『父が牛飼いになった理由(わけ)』を鈴木牛後(ぎゅうご)さんが読む
[レビュアー] 鈴木牛後(俳人)
親愛に満ちた家族の対話
本書は脱サラして酪農家になった著者の父・崇(たかし)を中心としたノンフィクション。父のことだけではなく祖父や、さらにその先祖のことも綴られている。本書にも書かれているが、北海道の人は先祖のことをよく知らないことが多い。著者と同じ北海道生まれである私もまた、祖父より前のことは何も知らない。しかし著者は、父や先祖のことを調べる「途方もない、利益もない、だが大事な」作業を通して、「自分が立っている足の裏に、長く硬い根が生えていたこと」を知ったという。それは北海道を舞台に物語を書きつづけている著者の、その精神の深いところが、自らのルーツと響き合って鈴を鳴らしたということなのであろう。
本書のタイトル『父が牛飼いになった理由(わけ)』であるが、それは薬剤師として働いていた祖父が、牛飼いになりたかったからということのようだ。祖父の希望に沿って、父の兄、父、そして父の弟二人の計四人が、みな帯広畜産大学に進んだというから驚きである。著者も「仲良しか」と突っ込んでいるが、本当に仲が良かったのだろうし、また、祖父の語る理想の牛飼い像に、兄弟で憧れていたのかもしれないなどと想像したりもする。
著者の目を通して語られる父はとても魅力的な人物である。黙々と牛飼いの仕事をこなす一方で、タバコとパチンコとスポーツ中継を好み、猫を可愛がり、子どもを連れてワカサギ釣りに行く。また、実習生を快く受け入れ、カナディアンカヌーを作り、さらには羊飼いになった著者のために、羊小屋を建ててくれる。どこにでもいるような人のいい農家のおじさんだ。しかしある日父はくも膜下出血で倒れ、高次脳機能障害のために記憶と自我を失ってしまう。そして長い自宅介護の末に、現在は特別養護老人ホームに入所している。本書は、自らの言葉を失ってしまった父との、家族の歴史をめぐる、親愛に満ちたな対話であるように私には思われた。
※河崎の崎は、たつさきが正式表記。
鈴木牛後
すずき・ぎゅうご●俳人