『歩くという哲学』フレデリック・グロ著

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歩くという哲学

『歩くという哲学』

出版社
山と溪谷社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784635350020
発売日
2025/02/18
価格
2,640円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『歩くという哲学』フレデリック・グロ著

[レビュアー] 奈倉有里(ロシア文学研究者)

思索や創作、抵抗のため

 私たちが日常的におこなっている「歩く」という営みについて、この本は考える。

 詩人や哲学者は、どこを、どう、なんのために歩いてきたのか。たとえば若きランボーは春になる度に実家から家出をしては長距離を歩いてパリの詩壇に飛び込み、詩を書かなくなってからは足が動かなくなるまで砂漠を歩いた。

 思索をする者は、ひとりで歩くのを好む場合が多い。「歩くということは、自分のもっとも深いところにあるリズムを見いだし、それを守ることだから」だという。ルソーは思索のために歩き、思索を終えても歩いた。若くして大学の教授となったニーチェは行き詰まり、休職ののちに辞職して一心不乱に歩き、代表作を生みだしていく。歩きながら作ったワーズワースの詩は、歩行のリズムで成り立っている。

 歩くことが社会的な意味を持つこともある。ガンディーは抵抗のために歩いて大きな反響を得た。「ぞっとするほど機械的で、一糸乱れぬ」軍隊行進の権威性と好対照をなすのは、「抗議や権利の要求のための非暴力の共同体」による祝祭的なデモ行進だ。

 本書を読んでいると、たったひとつの単純な動作だと思っていた「歩く」という行為に、いくつもの種類があることに気づく。

 読み終え、玄関を出て、足を踏みだす瞬間に思う――さて、誰のように歩こうか。カントのように毎日決まった散歩コースをきっかり一時間歩くのか、ソローのように「野生」に思いをはせるのか、それとも犬(けん)儒(じゅ)(キュニコス)派のように「必要なもの」を根本から見つめなおすのか。

 世界の二一もの言語に翻訳されているという本書。読むだけで歩く楽しみがこんなに増えるのなら、それも納得というものだ。人は歩く。降り積もった些(さ)事(じ)で重くなっていた頭はいつしか軽くなり、心のなかにぽっかりと、なにかが生まれるための空間ができ、全身に心地よい疲労が訪れる。谷口亜沙子訳。(山と渓谷社、2640円)

読売新聞
2025年3月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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