『他人屋のゆうれい』
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<書評>『他人屋のゆうれい』王谷晶著
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
◆「フツー」に回収されず生きる
宮城県から上京して1年。2畳一間のシェアハウスに住み、派遣社員としてコールセンターで働いている青年・大夢の日常に“幽霊”なんていう異常を投入することで、わたしたちが「フツー」として無自覚に受け入れている事どもに柔らかなフックをかましてくるのが、王谷晶(おうたに・あきら)の最新長篇『他人屋のゆうれい』だ。
事の始まりは親戚中から変わり者扱いされている春夫おじさんの急死。大夢は、兄からそのおじさんの部屋の片付けを命じられる。下町にある昭和レトロなマンションの404号室を訪ねると、「他人屋」という便利屋のような仕事をしていたおじさんの部屋は雑多なもので溢(あふ)れ返っていて、業者を頼むお金もない大夢は、そこに居抜きで住むことになる。
ところが風邪をひいて寝込んでいたところに、長い髪で顔がほとんど隠れている何者かが出現。これはおじさんの業務日誌に時々記されていた“幽霊”かと怯(おび)える大夢だったのだけれど――。
物語はこの何者かの正体や、どうして404号室に現れるのかという謎をめぐって展開していく。でも、そういうストーリーテリングとしての楽しみ以上に胸に残るのは主人公の造形だ。
自分でも言語化できないセンシティブな理由から一生独りで生きていくのだろうと思い、他人とつきあうことが苦手で、好意を素直に受け取ることも苦痛で、読者にとって共感しにくい人物。
その大夢が幽霊の正体を探る過程で、自分とは異なる理由で「フツー」からはみ出している人々と関わることで、ほんの少しだけ心を柔らかくしていく。この「ほんの少しだけ」というのが、いい。
過去作品で過激だけれどまっとうな価値観を読者にぶつけてきた王谷だけあって、これを帯に記されている「現代版長屋噺(ばなし)」なんて心温まる物語には落とし込まない。違和感や異物感を無理やり「フツー」に回収しようとしない。
大夢も幽霊もおじさんもみんな、そのままで生きていていい。生きていける社会であってほしい。そんな気持ちが行間から立ち上がってくる小説で、そこが最大の美点なのだ。
(朝日新聞出版・1980円)
1981年生まれ。小説家・エッセイスト。『カラダは私の何なんだ?』など。
◆もう一冊
『ババヤガの夜』王谷晶著(河出文庫)