『向谷地(むかいやち)さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?』
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『向谷地さん、幻覚妄想ってどうやって聞いたらいいんですか?』向谷地生良著
[レビュアー] ドミニク・チェン(情報学研究者・早稲田大教授)
心の病 深く耳傾ける
ソーシャルワーカーの向谷地生良は、北海道は浦河町で精神障害等を抱える当事者の地域活動拠点「べてるの家」を設立するなど、40年以上にわたり様々な心の病と共に生きてきた。その過程で生まれたのが当事者研究のアプローチだ。病の当事者が自身を苛(さいな)む幻聴や幻覚について主体的に語り、ノートを書きながら研究を続ける。「自分自身で、共に」というモットーを掲げる当事者研究の姿勢は、幻聴幻覚を「存在しないもの」として否定してきた近代的な精神医療の在り方に対する向谷地の反発を表している。本書では、彼の取り組みをいち早く書籍化してきた編集者の白石正明によるインタビューの形式を採り、向谷地が具体的にどのような経緯で当事者研究の実践に取り組んできたのかという来歴が詳細に綴(つづ)られている。
読んでいくと、精神看護に関する一般通念が覆される逸話で溢(あふ)れている。省略したくないので詳細はぜひ本文で読んでほしいが、当事者が経験している幻覚は実に多様で、時には創造的とすら言える。その話に耳を傾けながら向谷地は「へぇー」と関心を示し、その実在を信じ切って質問を繰り返し、物語に参加する。すると、当事者が他者と分かち合う言葉を持たずにいた自分だけに見える現実が、自らの言葉で語れる社会的な話題に変(へん)貌(ぼう)していく。圧倒的な幻覚は次第に相対化され、時には「幻覚は自分を助けてくれたのだ」という気づきを生み、周囲の世界、他者、そして自己との和解が生じる。
後半の、客観的な知と主観的な真実の合致という視点を説く社会学者の大澤真幸による論考は、当事者研究の仕組みを理解する別様の切り口を与えてくれる。他でもない自分にとっての現実とは何かという問いが、病名を診断されていない読者にも深く突きつけられるだろう。本書は、幻覚妄想という極限状況を日々生きる人々に対する無知と偏見が、尊敬と共感の念へと変容する、冒険の書だ。(医学書院、2200円)