<書評>『増補新版 終戦と近衛上奏(じょうそう)文 アジア・太平洋戦争と共産主義陰謀説』新谷卓(あらや・たかし) 著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

増補新版 終戦と近衛上奏文

『増補新版 終戦と近衛上奏文』

著者
新谷 卓 [著]
出版社
彩流社
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784779129896
発売日
2025/01/15
価格
4,950円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

<書評>『増補新版 終戦と近衛上奏(じょうそう)文 アジア・太平洋戦争と共産主義陰謀説』新谷卓(あらや・たかし) 著

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

◆為政者が信じた 不確実な情報

 敗色濃い昭和20(1945)年2月に、元首相の近衛文麿が、昭和天皇に早期和平と共産革命への警戒を直接訴えたのが「近衛上奏文」である。昭和天皇の容(い)れる所とはならず、戦争はあと半年続いた。

 吉田茂も関与した「上奏文」は空疎な妄想なのか、「アカ」をめぐる陰謀論なのか。本書は、近衛の中で、上奏内容が形成される過程を丁寧に、詳細に検討していく。

 近衛は天皇から遠ざけられ、東条内閣に反対する側にいた。確実な情報は入ってこない。戦争の行方に憂慮は膨らむ。政権にあった時も、自らの意思とは反対の方向に事態が進んだのは何故だ。

 それらの疑問に答えてくれたのが、元大蔵官僚で田中義一の元首相秘書官・殖田俊吉(うえだしゅんきち)だった。殖田は「陸軍赤化説」の火付け役であり、陸軍皇道派の将軍たちとつながっている。

 著者は、真崎甚三郎などの日記類、憲兵隊の見解、当時のソ連情報、噂(うわさ)ばなしの伝播(でんぱ)のしかたなどを総合的に検討していく。近衛はそうした情報をどこまで信じたか。いつから信じたか。近衛は周辺に話をどのように伝えたか。資料的にわかる範囲は徹底的に跡づけていく。

 ゾルゲ事件により尾崎秀実(ほつみ)が逮捕された衝撃は大きい。日米戦争を避けられなかった無力感もある。反東条のうねりも増大する。

 近衛の認識は昭和18年1月の時点では、限りなく「上奏文」の内容に近づく。19年7月の時点では、論理の骨格は出来上がっていた。近衛の秘書・細川護貞(もりさだ)の本のタイトルである『情報天皇に達せず』という危機感は増していった。

 本書は「『陰謀論』の歴史的な事例研究」としても書かれた。陰謀論の解毒剤としても、「昭和史」や近衛再評価の書として読んでも面白い。

 「メディアが未発達で、情報の正確性や中立性が担保できない時代には、『陰謀』の情報こそが、為政者たちの心の中心にあったとさえいえる」

 「陰謀論」はいまや、為政者だけでなく、ネット依存の国民大衆をも魅了している。

(彩流社・4950円)

立教大非常勤講師。共著『池田純久(すみひさ)と日中戦争』など。

◆もう一冊

『近衛文麿と日米開戦 内閣書記官長が残した「敗戦日本の内側」』川田稔著(祥伝社新書)

中日新聞 東京新聞
2025年3月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク