『ナゾの終着駅』
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【毎日書評】起きたら「大月駅」だった…終電で終着駅まで乗り過ごしたら、どうする?
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
東京駅や新宿駅のような巨大ターミナルから、1日に数人しか使わない無人駅まで、日本にはおよそ9,000ほどの駅が存在するそうです。注目すべきは、規模や性質こそ異なるとはいえ、それらの駅がひとつひとつまったく異なる個性を持っていること。
しかも駅がそこにある以上、駅を使う人がいて、人が暮らす家があり、働いている職場があり、商業施設があり……と、駅と町が相互に影響し合いながら育んできた歴史が存在するわけです。
したがって『ナゾの終着駅』(鼠入昌史 著、文春新書)の著者も、鉄道という観点のみならず、“町と駅とがどのように関わっているのか”を考えながら、駅と街を歩いているのだそうです。
テーマは終着駅。文春オンラインに寄稿している「ナゾの駅」シリーズから、なんらかの形で列車の“終着駅”になっている駅を取り上げているのです。
終着駅というと、線路が途切れるどん突きの駅をイメージする向きも少なくないと思う。が、本書のいう“終着駅”は、そういう意味の終着駅だけでなく、多くの列車がその駅を終点としている、つまり「●●行き」の列車が多い駅という観点からもピックアップしている。ありていにいえば、通勤電車の行き先の駅、というわけだ。(「はじめに」より)
多くの場合、終電で寝過ごして終着駅まで行ってしまった場合、また戻って帰宅することは不可能です。そのため終着駅は“ナゾの駅”と位置づけられたりするわけですが、そうした駅にも町があり、人の営みがあるもの。そこで本書では、そうした終着駅を客観的な視点に基づいて捉えているのです。
きょうは第1章「首都圏の『ナゾの終着駅』」のなかから、しばしばJR中央線沿線住民を失意のどん底に追いやる「大月駅」についての記述をピックアップしてみたいと思います。
深夜、終点まで行ってしまったら……
東京駅からまっすぐ西へと向かう中央線は、ラッシュ時には大混雑する日本屈指の通勤路線。2025年の春に有料グリーン車が導入されたことも話題を呼びましたが、その一方、“世にも恐ろしい電車”として知られているのが中央特快大月行きです。
中央線を使う通勤客は、いくら乗っても30分から1時間程度。疲れ+お酒+寝不足+グリーン車の合わせ技を食らったら、ひとたまりもない。そして結局、目が覚めたときには降りるべき駅などとっくに通り過ぎてしまい、車窓は闇に包まれた甲州路の山の中。最初は満席だったグリーン車もガラガラで、車掌さんが「終点の大月です」などとのんきに喋っている。はて、大月とはいったい……。
ごらんのように、大月駅はげに恐ろしき終着駅なのである。(13ページより)
ちなみに私は中央線沿線住民なので、ちょっとのんびりしたいときなどにふらっと大月行きを利用することがあります。なにをするでもなく、だんだん緑豊かになっていく景色を眺めるだけのために。
大月で降りて散歩したらまた都心に戻るのですが、それだけでも気持ちが落ち着きます。
ただし、それはあくまで昼間の話。著者が指摘するように終電で乗り過ごしてしまった場合は、本当に帰る手段がないのです。(12ページより)
“悲劇”に備えるため昼間の大月駅へ行ってみる
そういうわけで、あらかじめ大月駅に行っておくことにした。何ごとも、備えが大事である。いきなり夜の大月駅に放り出されたら途方に暮れる。けれど、事前にどんな駅なのかがわかっていれば、いくらかは冷静さを保つことができるに違いない。
もちろん、訪れたのは夜ではなく昼の大月駅である。(13〜14ページより)
八王子、西八王子を経て高尾駅を過ぎると、中央線は小仏峠を抜ける長いトンネルに入ります。そして、そのトンネルの途中で東京都から神奈川県へ。さらに山のなかを盛んにカーブを繰り返しながら走ると、相模湖駅を出たらすぐに神奈川県から山梨県に入り、あとは桂川(相模川上流)に沿っていくつかのトンネルを抜けながら山を登っていきます。
ちなみに四方津駅のあたりの山の中腹には、バブル期に造成された「コモアしおつ」という住宅街へとつながるエスカレーターも。当時はメディアでもさかんに紹介されましたが、実際のところ、ここから東京都心へ通勤するのはなかなか大変そうではあります。
ともあれそうこうしているうちに、やがて電車は大月駅に到着。東京駅から大月駅まではおよそ2時間弱で、これを遠いと感じるか、はたまた近いと感じるかは人によって違うかもしれません。(13ページより)
夜中に乗り過ごしてくる人は、やはりいたらしい
大月駅は、中央線から富士急行線へのターミナルだということもあって観光客も多い小さな町。駅前にはレストランや甲州名物の信玄餅などを売る店舗もありますが、駅前ロータリーから伸びる駅前通りの先には菊花山がそびえているというロケーション。駅の裏側にも、切り立つ絶壁にインパクトのある岩殿山が見えます。そして駅前広場の脇からは、中央線と桂川に並行するようなかたちで旧甲州街道が通っています。
現在の大月市内には中央線の駅が6つもある。ほぼすべてが山間部の駅だ。そして、かつての甲州街道も、現在の大月市内に12の宿場があったという。険しい険しい甲州路の山の中。江戸と甲州を行き来する人たちは、山の中の宿場で休憩を取りながら、甲府盆地を目指したのだろう。(17ページより)
ところで、都心から夜中に乗り過ごしてくる人は本当にいたのでしょうか?
客待ちをしていたタクシーが止まっていたので、運転手さんに聞いてみた。
「昔はね、たまに乗り過ごしてくる人もいたみたいだけど、コロナから先、遅い時間まで飲む人も減ったでしょう。それに、ほら」
そう言って、指さしてくれた向こうには、はい、ありました。でっかいでっかい東横イン。駅のすぐ裏側に、ビジネスホテルの東横インが建っている。2022年の春にオープンしたらしいから、だいぶ歴史は浅い。乗り過ごしてくる人たちのため……というよりは、富士山目当ての観光客のためなのだろう。(17〜18ページより)
もちろん空室があるかどうかという問題もあるにせよ、深夜の大月駅前で途方にくれる危険性も、少しは緩和されたのかもしれません。(16ページより)
著者がいうように、終着駅にもそれぞれのストーリーがあるもの。だからこそ、もし本書を読んでどこかの終着駅に関心を抱いたのなら、終電に乗り遅れないように気をつけながら、実際に足を運んでみてはいかがでしょうか。
Source: 文春新書