『井上ひさし外伝 映画の夢を追って』植田紗加栄著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

井上ひさし外伝

『井上ひさし外伝』

著者
植田 紗加栄 [著]
出版社
河出書房新社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784309039428
発売日
2025/01/28
価格
3,520円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『井上ひさし外伝 映画の夢を追って』植田紗加栄著

[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)

作家の血肉 銀幕で育む

 「一流の音楽を聴きなさい。一流の映画を観(み)なさい。本を読みなさい」。赤塚不二夫は、デビュー前に手塚治虫からもらったこの言葉を実践しマンガ家になった。表現を目指す者への至言だろう。

 2010年に75歳で死去した劇作家、小説家の井上ひさしさんは、5歳で死別した亡父愛蔵のガーシュウィンのレコードが子守歌がわり。本は、小説家希望の父が残した「近代劇全集」などを乱読して育った。そして映画は最大の趣味。中学3年までに600本、仙台一高時代には1000本も観た。本書は、生前の井上さんと親交のあった著者が、作家の文章、発言を調べあげ、同級生や家族などの証言も集め、映画がいかに作家の骨格をつくり、血肉と化したかを跡づけている。

 努力は半端じゃなかった。テーマを決めるや徹底して資料を集め、読み込んだ氏である。ダニー・ケイ主演「虹を掴(つか)む男」は36回観て、暗闇でメモをとり、シナリオを復元した。「映画館の暗闇の中から井上ひさしは生まれた」という著者の視点は、氏が最も映画館通いに熱中したのが、事業に失敗した母親と離れ、仙台の養護施設にいた時代という指摘でより鮮明になる。とかくくじけそうになる多感な心を励まし、表現する喜びを教えてくれたのが、歌あり、踊りあり、笑いありの映画だったのだ。

 生前、洋画ベスト10のアンケートで1位としたという「ミラノの奇(き)蹟(せき)」を今回はじめて観た。それは、赤ん坊のときにやさしいお婆(ばあ)さんに拾われ、養護施設で育ったトトが、寄る辺のない人たちと居場所をつくっていく、ファンタジーで楽しい映画だった。

 井上さんは、誰かから受けた恩を、その人に返す「恩返し」ではなく、誰か別の人に送る「恩送り」という言葉を大切にし、恩が世の中をぐるぐる回ることを願っていたという。

 授業をさぼって映画を観ることを認めてくれた先生、お世話してくれた施設の修道士、そして映画が与えてくれた「恩」を綿密に記す本書を読むと、井上作品が「恩送り」だったことがよくわかる。(河出書房新社、3520円)

読売新聞
2025年4月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク