『追跡』
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『追跡』伊岡瞬著
[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)
少年失踪 闇組織の暗闘
住宅の焼け跡から発見される複数の死体。体には死因の刺し傷が見つかる。誰かが住人を皆殺しにしたうえで、放火したものか。しかし、焼けた家と死体の身元の間に、意味ある関連は一向に見(み)出(いだ)せない。そして、現場からは一人の少年の姿が消えている……。
火災で証拠隠滅を図るという冒頭は、刑事ドラマやミステリー小説に珍しくない滑り出しかもしれない。だが、そこから先の果てしない物語づくりが、さすがは伊岡瞬だ。
安定の筆致だ。捜査員の経歴と思考、捜査本部の実像、警察組織の内幕を丁寧に描写する。そして見えてくる政権中枢の大物政治家、政界の伝説的フィクサー、彼らに絡む政治秘書たち。完璧なまでに描かれる豊富な切り口は、きっと社会の裏にはそうしたものがつねにうごめいているのだと感じさせる、いかにもリアルな要素群だ。どれもが現実との間に違和感を生じず、普段の空気の中にチラリと顔を覗(のぞ)かせる。
本作が世界観を見せつけるのは、手荒な仕事を請け負う複数の闇組織の登場だろう。政界の裏事情と結びついていることは自明だが、誰が誰を雇っているのか、何を依頼されているのか、互いに敵なのか味方なのか、謎が複雑に絡み合った暗闘を味わえる。
人物に染みついた人生観、時系列と移動の細密な重ね合わせ、巧みな叙述トリック。緻(ち)密(みつ)に組み上げられた展開が秀逸だ。これ以上はあり得ないと思うほど、節ごとに短い時間間隔で頻繁に視点が入れ換えられる。しかし、消えた少年の謎を軸に、登場する組織と人間の動機が自然に推移し、すべての視点を貫く主題が構築されていく様は、見事の一言である。
適度な間隔で挿入される格闘技対決が楽しく、笑いすら誘ってくれる。戦闘が一段落したときには、もう各視点の時間世界が歯車のように回転した後である。有無を言わせぬこの展開の速さこそ、伊岡瞬から読者への素敵な贈り物だ。(文芸春秋、1870円)