鎖国令を破った「薩摩藩」は密貿易で暴利を貪り倒幕資金を…「富山の薬売り」視点から宮本輝が描く

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潮音 第一巻

『潮音 第一巻』

著者
宮本 輝 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163919362
発売日
2025/01/20
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

人生通の昔話のような親密さで始まる宮本文学を代表しそうな大河歴史小説

[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)


島津氏の居城であった鹿児島(鶴丸)城跡

 全4巻の大河歴史小説の第1巻だ。その始まりは大作にふさわしく、徐々に動き出す感じ。こなれた文章なのに、小説の密度が濃く、あれやこれやと感覚も、情感も、思考も刺激され、時空を超えた作品世界に誘われる。自身の父親をモデルにした人物を中心に日本の戦後を描いた大河小説『流転の海』(全9部)などとともに、宮本文学を代表する作品になりそうだ。

 越中富山は八尾の紙問屋に生まれた弥一が主人公。小説の全体は、明治13年(1880年)に、49歳の彼が「わたくし」の一人称で幕末期を語るという構成になっている。少しずつ時とともに変化していく自分と社会。懐かしいような、いとおしいような、ゆっくりとした時間。暖かい炉辺か、陽光を浴びた縁側か、くつろいだ居間で、人生通の昔話を聴いているような親密さで物語を楽しめる。

 弥一は跡継ぎ息子だったのに、富山藩の役人に見込まれて、富山の薬種問屋に奉公することになる。薩摩藩の担当になった彼は行商を始めて、「先用後利」(訪問先に何種類も薬を預けておき、次の訪問時に使った薬の代金だけを受け取るシステム)という富山の薬売りの実際を学ぶ。

 実は富山藩は薩摩藩と特別な関係を持っていた。蝦夷の干し昆布などを薩摩に大量に持ち込む。薩摩はそれを清に売って、大きな利益を得る。清からは長崎経由では望めない質と量の中国産の薬種が入る。富山の薬売りにとってはきわめて貴重な資源だ。薩摩藩は幕府の鎖国令を破った密貿易で暴利をむさぼり、富山藩も豊富な薬種によって潤う。薩摩藩は大量の武器や弾薬を購入して、それは討幕の原動力の一つにもなった。

 このあたりの構造をわかりやすく解説しながら、物語は進む。高所に立って論じるのではない。視点は絶えず低い。徹底して低い。富山の薬売りの目で語られるのだ。二本の足で地面を踏みしめながら、富山の薬売りは日本列島の津々浦々に薬を届けてきた。そこで各地の人々と交流してきた。この地べたに近い場所から、日本史の大きなうねりがとらえられていく。

 相次ぐ震災。ペリーの黒船来航。攘夷派と開国派の対立。将軍の後継問題。薩摩藩の跡継ぎをめぐる争い。島津家から徳川家に嫁いだ天璋院篤姫の運命。西郷隆盛の評判。時代は激しく動く。しかし、弥一の言葉はあくまでも冷静で、落ち着いている。私たちは一人の行商人の視点から、日本史の急所を味わい、楽しむことになる。2巻以降の展開に期待がふくらむ。

新潮社 週刊新潮
2025年4月17日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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