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『パイデイア』W・イェーガー著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
人間形成としての教養
「教養」とは何か。古典の本を読むこととか、物知りになることと誤解している例をよく見かけるが、本来は大正時代にドイツ語のビルドゥングにあてられた訳語である。本書で古典文献学の大家、ヴェルナー・イェーガーは、この言葉が古代ギリシアのパイデイアの意味を継承したものだと述べる。そしてそれは、その後の時代へと続くヨーロッパの「文化世界」の基礎をなし、人文学の伝統を支えてきた重要な営みにほかならない。
いまの日本で「教養」を論じるとき、議論が曖昧になり拡散してしまうのは、本書の名が早くから知られていながら、全体の邦訳がなされなかったせいもあるだろう。一九三〇年代から四〇年代にかけてドイツ語で刊行され、古代ギリシアにおけるパイデイアの歴史を描ききった大著である。
書中の言葉を借りれば「意識的な人間形成」。個人が本当に人間らしくなるように、その精神と身体の双方を全体として育成し、理想像へと近づける営みである。しかもそれは、政治共同体であるポリスの任務と位置づけられ、市民としての活発さの養成と結びついている。身体の育成や詩情の涵養(かんよう)、討議のためのレトリックの訓練もまた、全体としての人間性を育てるのに不可欠とされていた。
内容の主な舞台は、紀元前五世紀から四世紀にかけてのアテナイ。イェーガーがもっとも重視するのは、現実の国家のあり方と理想の政治との緊張関係を考え抜いたプラトンであるが、同時にその論敵だったソフィストたちを高く位置づける点が独特である。第一分冊が刊行されたのは一九三四年。アドルフ・ヒトラーによる政権掌握の直後であり、本書の議論にも愛国心や指導者の役割の強調など、ナチズムと共通する要素がかいま見える。しかし同時に、ソフィストが現実の法を相対化し、人間精神の自立へと思想を転換させたことに、イェーガーはまなざしを向ける。それはまた、全体主義の時代における人間の自由の模索という現代的な課題とも重なっているように思えるのである。曽田長人(たけひと)訳。(知泉学術叢書、上中下巻6050~7150円)