『世界99 上』
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『世界99 下』
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『世界99』村田沙耶香著
[レビュアー] 大森静佳(歌人)
心身抉るディストピア
こんなにも心身を抉(えぐ)られる読書体験は初めてかもしれない。現実から遊離した絵空事であれば安心して読める。読み進めながら凄(すさ)まじい嫌悪感に身を震わせてしまうのは、一見SF的な設定を持つこの小説が、じつは現代社会の地獄を克明に描いていると感じるからだ。
『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した作家の最新作は、架空の日本を舞台にしたディストピア長篇(ちょうへん)。性格が空っぽでコミュニティごとに人格を使い分けながら生きる如月空子の一生を、上下巻八百ページを超えるボリュームで描く。父のように会社の「道具」になるか母のように家庭の「道具」になるかで空子が迷うなか、鍵を握るのはアルパカに似た愛玩動物「ピョコルン」の存在。やがて人類はピョコルンに育児介護などのケア労働にとどまらず人工子宮による出産を押しつけ、男性―女性のジェンダー役割は人類―ピョコルンの構図へスライドする。おぞましく思う一方で、もし子宮を外部に移せたら月経や妊娠出産による身体的負荷から解放されるのに、と考えたことのある女性は案外多いのではないか。倫理観の足場が強烈に揺さぶられる。
他にもこれは紛れもなく現実だ、現実の精密なデフォルメだと思わされる細部に満ちている。タイムラインごとに違う世界を見せるSNSと分断の進行。優秀な遺伝子を持つ「ラロロリン人」への差別と羨望。時代の変化による常識の転覆。ピョコルンへの性的搾取。経済格差。怒りや憎悪を「汚い感情」として忌避する風潮。鼻の穴のホワイトニング。「ピョコルン」や「ラロロリン人」など幼稚な響きの命名に最初は戸惑うが、このSF的ハリボテ感もおそらくある種の挑発であり皮肉なのだ。ハリボテが剥がれたすぐ下にある現実の醜悪さが強調される。あるとき明らかになるピョコルンの衝撃の正体と、究極の「公平」を目指してその先へと突き進む世界。極彩色の不気味さに彩られたその結末は、ぜひ自分の目で見届けてほしい。(集英社、上下各2420円)