『あのころ、吉祥寺には「ぐゎらん堂」があった』
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<書評>『あのころ、吉祥寺には「ぐゎらん堂」があった。 1970年代のカウンターカルチャー、その痛快な逆説』村瀬春樹 著
[レビュアー] 篠崎弘(音楽評論家)
◆ごった煮 対抗文化を発信
まだデパートもなく「ほどよくにぎわい、ほどほどにうらぶれた田舎町だった」1970年の東京・吉祥寺。駅から徒歩5分、商店街の外れのペンシルビルの急な階段を上った3階に、「武蔵野火薬庫/ぐゎらん堂」は開店した。
ジャズ、ロックからエディット・ピアフ、美空ひばりまで、好きなレコードを大音量でかけ、コーヒーや酒、軽食を出す、手作りの内装の、わずか12坪(約40平方メートル)の店。開いたのはフリーライターだった村瀬春樹とゆみこ・ながい・むらせ。ともに二十代だった。
店では恒例の「水曜コンサート」をはじめ、映画の上映会や詩の朗読会が開かれた。シンガー・ソングライターの高田渡やシバ、友部正人、武蔵野タンポポ団らがステージに立ち、漫画家のいしかわじゅんや高信太郎らが客席にいた。多くは世に出る前だった。多くの漫画家を育てていた『ガロ』編集長の長井勝一やグラフィックデザイナーの羽良多平吉も常連だった。
店はまた、「名前のない新聞」など多くのフリーペーパーが集まる対抗文化の発信地でもあった。
村瀬は多くの資料と精緻な記憶とでその時代を描き出す。開店前の大学闘争からウーマン・リブ、米国の黒人解放、ベトナム戦争。多くの社会事象が、店で歌われる歌詞や壁の落書きなどに色濃く影を落とす日々だった。
だが、やがて時代は変わった。「歌う場所はふえた。だが、歌う側に歌うべきものがなくなってしまった」。吉祥寺もきらびやかな街に変貌した。かつては「行けば何かができるという行動派がこの街を目指してた」が、やがて「できあがったものを見に来る」街に変わった。そして85年、店は閉じる。
最後に著者は書く。「あの店は、雑多な職業、勝手なファッション、それに、音楽、美術、漫画、文芸、政治、エトセトラをごった煮にした闇鍋のような店だった」「ぐゎらん堂は『街の学校』だった」
420ページ。吉祥寺の一つの時代の貴重な記録だ。
(平凡社・4950円)
1944年生まれ。エッセイスト。著書『おまるから始まる道具学』など。
◆もう1冊
『博多ROCK外伝』田代俊一郎著(INSIDEOUT、品切れ)。めんたいロック史。