『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』ティム・オブライエン著

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虚言の国  アメリカ・ファンタスティカ

『虚言の国  アメリカ・ファンタスティカ』

著者
ティム・オブライエン [著]/村上春樹 [訳]
出版社
ハーパーコリンズ・ジャパン
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784596725646
発売日
2025/02/28
価格
3,630円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』ティム・オブライエン著

[レビュアー] 長田育恵(劇作家・脚本家)

エゴ錯綜 奇想の逃走劇

 かつてヴェトナムに従軍し熾(し)烈(れつ)な実戦を経験した作者による20年ぶりの長編小説。現代アメリカへの切実な問いかけを孕(はら)む。フェイクニュースとコロナウイルスが蔓(まん)延(えん)するアメリカを舞台に、虚言症に取り憑(つ)かれた登場人物たちによる奇想に富んだ狂騒的ロードトリップだ。

 一流の新聞記者だったボイドは今やフェイクニュース王に転落している。カリフォルニアの田舎町で銀行を襲い、受付嬢アンジーを攫(さら)い、逃走の旅に出る。これが冒頭だが、読みながら相関図を書き出していくと、手元に天体が出来上がった。ただし恒星はない。どの星もエゴのためエネルギーを持って動き、復(ふく)讐(しゅう)・追跡・不倫・強奪・結婚・殺人など関係性が錯(さく)綜(そう)する。

 速度ある旅は虚言にも種類があると顕(あらわ)し、深度も深める。SNSの荒唐無稽なフェイク。それは疫病のように人類を蝕(むしば)む。さらに「彼の真実と私の真実」が戦い、真実が虚言にねじ曲げられる現場。かつて記者時代のボイドはそうして破滅させられ、今また、彼が起こした銀行強盗でさえ、他者の不都合な事情のため虚言で隠(いん)蔽(ぺい)された。いっそ稀(き)代(だい)の嘘(うそ)つきとなり虚言の檻(おり)でもがくボイドは、一方で虚言の虚飾で生涯守ろうとする事実もあった――それは愛する者の死にまつわる、痛みを伴う虚言。

 虚言まみれの時代を生きる私たちは果たしてどこへ向かうのか。ナーバスな読者に作者は、虚言には善悪の定義は通用せず、あるのは現象だけだと突きつけた。現象が次の現象を引き起こす連続性だけ。そのリアルを踏まえて何ができるか、本書の結末が読者を見返している。

 訳文は慈しんで磨き抜かれ、淀(よど)みなく疾走感を維持する。人物の輪郭を際立たせる一文、打たれた句点の残響に感情が滲(にじ)む。巻末に訳者のあとがきも収録、ヴェトナムから現在のアメリカへ――同根の危機を炙(あぶ)り出そうとする作者の勇気を評価する。一介の市民でもある肉眼が書き抜いたアメリカがここにある。村上春樹訳。(ハーパーコリンズ・ジャパン、3630円)

読売新聞
2025年4月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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