『病原菌と人間の近代史』
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『病原菌と人間の近代史 日本における結核管理』塩野麻子著
[レビュアー] 福間良明(歴史社会学者・立命館大教授)
隔離・治療と異なる視点
今日では、結核という病が話題になることは少ない。だが、戦前期や戦後初期には、結核は死因の第一位から三位を占める深刻な国民病だった。感染を広げないよう、発症した患者は隔離されることも多かった。一般社会から切り離され、死に向き合わなければならない苦しさは、当事者の回想でもしばしば語られる。
だが、近代日本の医療史をひもといてみると、発症者の隔離と治療ばかりが考えられていたわけではない。誰もが感染している可能性があることを前提にしたうえで、発症をどう抑制・管理するか。じつは、こうした観点からの対応にも、かなりの重点が置かれていた。
結核をめぐる文化史・社会史では、ともすれば発症し、隔離された患者に焦点が当てられがちだが、本書はそれらとは異なり、結核菌を有する(かもしれない)不特定多数の人々に対し、いかなる管理と制御が構想されてきたのかに着目している。言うなれば、顕在性ではなく潜在性に焦点を当てた医療史である。
日本の医学界は、すでに明治末期ごろから、結核の潜在性に着目していた。「結核を感受しやすい体質」について検討がなされ、産児制限や虚弱児童対策も議論された。なかでも一九三〇年代の動向は興味深い。総力戦の時代に移行しつつあるなか、兵士や労働者の発症を防ぐことは焦眉の課題だった。保健所法(1937年)の制定もあり、結核政策の主軸は、公立療養所での患者収容・教育から、保健所による患者・発病危険者の早期発見とその養護へと転換した。
本書はさらに戦後の動向にも目配りしているが、こうした歴史は新型コロナウィルスをめぐる対応とも重ねて見ることができよう。また、「内地」ばかりではなく、植民地や占領地ではどうだったのか。さらに、結核の範囲を超えて、近代国家の身体管理全般をどう読み解くことができるのか。本書が拓(ひら)く潜在性の医療史は、読者の思考をこうした方面にも広げてくれる。(人文書院、7150円)